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名曲喫茶で思う「怖いおじさん」がいた昔
以前から気になっていた阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンに行ってきた。
期待を裏切らない古めかしさだ。名曲喫茶はこうでないといけない。
名曲喫茶とは、主にクラシック音楽を蓄音機など年季の入った音響装置で聴くため「だけに」、クラオタ(重症のクラシックファン)が訪れる喫茶店のこと。重症患者にとっての安楽の地とも言われている。
重症患者のはしくれの私、かつて都内の名曲喫茶を数店訪れ、手痛い洗礼を受けたことがある。
吉祥寺にある「B」という店で(イニシャルにする意味がないが)、店に入るやいなや、楽しみにしていた「レコードのリクエスト」をしようと考えた。
ふつう一見の者は初回は様子見をするのがどの世界でも通例だが、そんな常識があればもっとまともな人生を送っていたはずの私は壁にかかっていたあるレコードを見つけた。
バルビローリ指揮ベルリン・フィルのマーラーの交響曲第9番である。言わずと知れた不滅の名盤。ジャズで言えば「ワルツ・フォー・デビイ」みたいな。とりあえず聴いとけ的なアルバムである。
バルビローリが好きな私は興味が惹かれて、店主らしき4、50代の女性のところに近寄って小声でそのアルバムをリクエストした。
やがて、濃厚なマーラーの感情吐露が始まると、上機嫌になった私は店内の棚にあった『レコード芸術』という高齢クラオタの愛読誌を手に取り、座席でページをめくった。
気分よく過ごしていると、先程の女主人が寄ってきて伝票のような紙切れを渡す。何か書かれているので目をやったら、
「音楽と向き合ってくださいね。ただでさえ、この曲は長~いですからね」
と書かれていた。
私は頭がガーンとなった。己の不明を恥じて赤面した。数年以上昔なので細かい表現はあやふやだが、「向き合って」と「長~いですからね」だけは強烈に覚えている。
友人に最近その話をしたら、「そんな怖い店、行きたくない」と言っていたが、年を取るとなかなか怒られなくなるもの、私にとってはありがたいお叱りであった。
そのお言葉を頂戴すると即座に『レコ芸』は棚に戻し、目を瞑ってひたすらマラ9に耳を傾けながら沈思黙考した。
私は好きな曲なのでまだいいが、突然来た新入りに1時間近いマーラーの大曲を聞かされるはめになった常連客は面食らっただろう。
マーラーのあまりの濃密さに息苦しさを覚えたのか、若いカップルの男のほうが何度も外に出ては戻ってくる。
リクエストした本人が曲の途中で帰るわけにはいかず、まわりの客にひたすら申し訳ない思いがして、心の中で手を合わせていた。
やっとマラ9が終わると、誰かのリクエストなのかショパンの「子犬のワルツ」が流れ出し、「なるほど。名曲喫茶で長い曲をリクエストしてはいけないのだな」と大変勉強になったのだった。
その苦い経験があったので、今日のヴィオロンで同じ轍は踏むまいと決めてはいたが、せっかく来たのだからとまたリクエストしたい気持ちが高まる。
注文したコーヒーを持ってきた「B」よりは優しそうな女店主にスマホに入力した「レコードのリクエストはできますか?」という文字を見せると「何ですか?」と言われたので、小声で同じことを伝えた。
すると、曲目リストの冊子があるので好きに選んでくださいと赤い冊子を渡された。
見ると、私の好きなハイドン、バルトークなど、ハ行の主な作曲家のレコード名(曲名と演奏家名)が書かれている。
ハイドンにしようと思いつつも、バッハの所蔵レコードも気になるのでそろりそろりと曲目リストが置かれている店主のそばのカウンターに移動すると床がギーギー音を出す。
店内には男性3人女性1人がいたので、細心の注意を払う態度を保ちつつ、バッハの冊子を探す。表紙に何も書かれてない冊子が積み重なっているので1つずつ音を出さないように中身を見ていったら6冊ある一番下がバッハだった。
そんなことをしてるうちに「ガチャン!」と何か激しい落下音がモーツァルトの優雅な「きらきら星変奏曲」を妨げ、ハッと気づくと傾いた机から私の携帯が床に滑り落ちたのだった。
せっかく「B」の女主人に躾てもらったのにこの有様。昔から「どんくさい」のが一向に直る気配がない。
結局、リクエストはハイドンが自身の葬式でも流してほしいと頼んだと言われている交響曲第44番「悲しみ」にした。
「悲しみ」が始まって少しすると、大学生らしき女性2人が現われた。何やら小声で話しながら入ってきたので、「会話はご遠慮ください」という扉の警告を読まなかったのだろうかと早くも疑心暗鬼になる。
彼女たちのすぐ近くに常連らしきおじさんがいたのもあり、席についてからもときどき小声で話すのをやめない様子を見て、マナーが悪いなぁと思ってしまった(お前が言うなと言われそうだが)。
「B」の女主人に躾られた通り、スマホはいじらず蓄音機を直視して音楽に耳と心を傾けていたが、その視線の端では女子大生2人を追っていた。
そのとき思い出したのは、図書館で走り回る子供、電車の座席におもちゃを広げて遊ぶ私立の男子小学生たちだった。
こういう子たちがいると、昔なら名前の知らないおじさんが「うるせぇ!」とまずジャブをかまし、「ここは公共の場なんだよ!」と怒鳴りつけた理由を述べ、「ガキは静かにしてろ!」と締めくくっていたものだ。
そんなおじさんはいつからかいなくなった。さすがのおじさんもネット民の炎上のネタにされてはかなわんと思ったのかもしれない。
某国も真っ青な一億総密告者の監視社会日本では死刑も私刑も好まれる。おじさんも密告にはかなわない。
しかし、絶滅した「うるせぇ!おじさん」には、絶滅してほしくない理由があった。
それは、おじさんが怒ることで、子供たちのお母さんは「ほらっ、怖いおじさんに怒られるからやめなさい!」と、自分が叱らないのを棚に上げておじさんに責任転嫁できていたからである。
お父さんとも違う、便利な知らないおじさんがいたからこそ、無責任な怒り方ができた。
それに、おじさんが怒ることで「公」と「私」の区別が存在していたのだ。
電車の中で化粧したりパンを食べたりしてる連中の何が腹立たしいかって、臭いもさることながら、おそらくその区別をしない厚かましさだろう。
乗客がそれなりにいるのに電車の座席におもちゃを広げて遊ぶ私立の制服を着た男子小学生3人を見た私は「いったいこの子たちが『公』の概念に気づくのはいつなのだろう」と考えた。
通学中の行為だから親は知らないだろうし、ひょっとしたら親と一緒でもこんな感じなのかもしれない。「うるせぇ!おじさん」がいたなら・・・と他力本願な私も人のことは言えないのだった。
こんな光景をハイドンの「悲しみ」を聴きながら女子大生たちを見て思い出していた。
しばらくしたら彼女たちはそれぞれスマホに見入ったりして会話しなくなった。この環境に適応したのかもしれない。若い子の適応能力をなめてはいけない。
いつ吊るし上げられるかわからない現代日本において、昔のような「うるせぇ!おじさん」として振る舞う勇気はとてもないが、そういう人がいたからこそ日本の「公」は守られていたのだ。
「B」の女主人の忠告も、ひょっとしたら「もっと人生と向き合ってください。人生は長~いですからね」という人生訓のようなものだったのかもしれない。
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