その薬、バッサリ切らせていただきます・・・老年科の荒療治
75歳以上の後期高齢者の経口薬、つまり飲み薬は5種類までにしろ、と言うのは日本老年医学会が口を酸っぱくして言ってる話です。この年齢の人たちでは6個以上薬を飲むと副作用リスクが5個以下より10%上がります。要するに一つ一つの薬のメリットの総和より「6個以上の薬を飲んでいるデメリット」が上回るんです。
だから私はあゆみ野クリニックに受診する75歳以上の方のお薬手帳は必ず見ます。6個以上出ていたら「何か要らないものは無いかなあ」と考えます。でも例え私が「これは要らない」と思っても、それは他所の先生が出している薬ですから、私があっさり「これ止めましょう」とはなかなか言えません・・・例外はあるんですが。患者さんやご家族に「この年齢では薬はなるべく減らした方が良いから、この薬を止められないかどうか、出した先生に相談してみて」と言います。
しかし75歳以上、特に80歳以上の患者が10個以上薬を飲んでいるという時は、そういう遠慮はかなぐり捨てます。75歳以上の人が10個以上薬を飲んでいたら、それは問答無用に「ダメ」なんです。75歳過ぎた人に薬が10個以上出ているけどその処方は妥当だ、なんてことは絶対無いです。だからそう言う人の処方はお薬手帳で一つ一つ吟味して、これ止めましょう、これも要りませんね、と勝手にやってしまうことがあります。もちろんその時は、「これは老年内科の私の出番です」と言います。全責任は私が負いますってことです。
一人の患者に10個以上飲み薬が出ている時は、必ず複数の医者が薬を出してます。胃腸科と内科と整形と泌尿器科、みたいな。その医者がみんな集まって相談して薬を整理出来れば良いですけど、現実的にはそれって無理です。関わっている医者はみんな「この歳でこんなに飲んだらやばいんじゃね」?と思ってますけど「自分の薬は切れない」訳です。そうなったら、老年科医の出番だというわけです。
とは言え「お前何で俺が出してる薬切るんだ、ちゃんと理由があって出してるんだ!」って話になります。だから高齢者の薬を整理する時の大原則というものがあります。
後期高齢者、特に80以上の方は「今だけ」治療するのです。今本人が困っていることにだけ対応します。眠れないとか、ご飯食べると胃がもたれるとか、あちこち痛いとか、便秘だとか、高齢者にありがちなあれこれです。これで軽く5個行っちゃいます。だから「将来の危険を減らす治療」は後回しになります。
「将来の危険を減らす治療」の代表は高血圧、糖尿病、高脂血症です。なんで血圧下げるんですか、血糖下げるんですか、コレステロール下げるんですかというと、「将来心筋梗塞や脳卒中などの動脈硬化による病気になる危険を減らすため」です。それは勿論大事です。しかし80以上の人にとって40代の人と同じようにそれが大事かというと、そうではないです。
こういう「将来の病気のリスクを減らすための治療」の評価の一つにNNT(Number needed to treat)と言うのがあります。例えばですね。「高血圧は心筋梗塞を起こすというのなら、何人の高血圧患者を治療したら心筋梗塞が一人減るか」を覧るのです。つまり「どれぐらい効率がいい治療か」という数字です。NNTは少ないほど効率が良いということになります。
高血圧治療の心筋梗塞や狭心症に対するNNTは、血圧が高いだけで他はなんでも無い人が71、最悪にやばい人で26です。つまり「血圧が高いと言うだけで他になんともない人71人の血圧を治療するとそのうちの一人を心筋梗塞から救える、色々病気のデパートで最高にやばい26人の高血圧を治療するとその内一人は心筋梗塞にならずにすむ」ということです。なおこの文章は一般の方向けですので面倒な英語の引用文献とかは出しませんが、書いてる私はきちんと信頼出来る文献を見て書いています。
一番効率が良いのは糖尿病の治療です。糖尿病の飲み薬の代表はメトホルミンですが、メトホルミンのNNTは10です。つまり糖尿病患者10人をメトホルミンで治療すると、一人が心筋梗塞にならずにすみます。メトホルミンによる糖尿病治療がこれほど効率的だというのは、それだけ糖尿病ってやばいということです。高血圧も糖尿病も心筋梗塞に繋がりますが、糖尿病の方がずっとやばいから、糖尿病治療した方が効率よく心筋梗塞を減らせるのです。
それに対してコレステロールの治療はずっと効率が悪いです。コレステロールを下げる薬は色々ありますが、ざっくり「スタチン」と呼ばれます。何とかスタチン、かんとかスタチンと色々商品はあるけど、みんなスタチンなんです。それで、スタチン類でコレステロール、特に悪玉と言われるLDLコレステロールを下げる治療のNNTはというと、119。コレステロールが高い人119人を治療してやっと一人を心筋梗塞から救えます。効率が悪いのです。なお心筋梗塞など冠動脈疾患を一度でも起こした人のコレステロールを治療した時のNNTは50です。そういう人50人のコレステロールを下げると一人再発を防げるというわけです。まあ血圧治療とだいたい同じぐらいです。
しかもこれは、全年齢をひっくるめての話です。40歳の人は平均年齢90近くまであと50年生きますから、例え効率が悪くてもコレステロールの治療をしても良いかもしれません。しかし80歳の人は平均寿命まであと10年です。平均寿命まであと10年の人119人のコレステロールを下げて心筋梗塞から助かる人は一人だ、と言うことなら、「6個以上薬を飲むリスク」と比べたら論外、となってしまいます。止めるべきです。
高血圧、糖尿病はそれなりに上で示した通り意味があるので、止めにくいです。しかし80過ぎの高血圧や糖尿は、もはや「将来のため」の治療ではなくなります。降圧剤止めたら突然血圧がボンと200になって救急車で運ばれる、と言うのは困ります。突然糖尿病の薬止めたらいきなり血糖が300になって意識失う、と言うのも困ります。80過ぎの人の血圧や糖尿の治療は、そういうことにはならないようにやれば良いんです。80歳の人が15年後、つまり95歳になるまでにどれだけ心筋梗塞減るんですか、という話と「80過ぎの人が6個以上薬を飲んだら確実に悪い」というリスクを比べたら、結局薬が多いリスクが上回ります。だからコレステロールの薬はさっさと止めますが、血圧や糖尿病の薬は最低限に減らします。
認知症の薬というのもターゲットになります。今出ているドネペジル(アリセプト)とかメマンチン(メマリー)とかいう認知症の薬って、そもそも認知症初期にしか意味は無いです。そして初期の認知症って、家族は大抵気がつきません。家族が「うちの親最近おかしい」と言ってあゆみ野クリニックに連れてくる時は、大抵かなり進んでます。その時認知症の薬なんか飲んでも効かないです。ああいうのは御本人が「最近物忘れが」と心配してきて、検査するとなるほど確かに初期の認知症だな、あるいはまだ認知症レベルじゃ無いけど放っておけば認知症になるな、という時に使うんです。明らかに呆けちゃって、むしろ暴言、暴力、暴行、介護への抵抗、徘徊なんて言うのが家族の悩みになってる時に、ドネペジルもメマンチンも無意味です。速効で止めます。特にドネペジルはそういう認知症の人ではかえってそういう精神症状を悪くすることがあるので、問答無用に切ります。
先ほどの原則「今だけ治療する」に基づくと、80歳以上で認知症と言う人を想定すると「興奮や介護への抵抗、不眠など」を治療する薬、痛み止め、胃薬、便秘薬。これで4つ。付け加えるなら糖尿病の薬を止めるといきなり血糖が300とかになって意識失うかもしれないから糖尿病なら糖尿の薬一つ。高血圧も全部止めるといきなり血圧がボンと200になるとマズいから降圧剤一つだけ。これでどうにか5個か、多くても6個になるわけです。他はどれだけ理由があっても「後期高齢者では6個以上薬を飲むと多剤併用のリスクが個々の薬の作用の総和を打ち消す」という原則に照らすと、止めましょう、となるのです。
もちろんこんなこと書くとありとあらゆる科の先生が怒るんです。夜間頻尿でベオーバ出してる、と泌尿器の先生が怒ります。心房細動で血液さらさらの薬を出している、と循環器の先生が怒ります。逆流性食道炎で胃酸を抑える薬を出している、と消化器科の先生が怒ります。骨粗鬆症で治療している、と整形外科の先生が怒ります。みんな怒り出すんです。
でも一つ一つの薬には確かにそういう効果があるんですが、「後期高齢者では6個以上薬を飲むと多剤併用の害の方が薬の効果の総和を上回る」という現実には敵わないんです。それを思い切ってぶった切れるのは、老年科の医者だけです。その代わり全責任はお前が背負えよ、って話になるんですけど。夜間頻尿が深刻な悩みなら、ベオーバとかベタニス出す代わりに思い切って血圧の薬切ります。たいして飯食って無くて血糖上がりそうに無ければ糖尿の薬を止めます。そうやって、なんとしても内服薬を5個、どんなに多くても6個以内にします。相当な荒技ですが、それでも「多剤併用のリスクよりはマシ」なんです。
あゆみ野クリニックが老年内科を掲げている理由は、こう言うことです。