「落ち度」ってなんだよ。不条理だろ
高校生の時、あるドキュメンタリー番組で耳にした言葉が、今でも心に引っかかっています。
『被害にあった方も「落ち度」があった』
性被害に遭った方々に向けられたその言葉に、当時の私は怒りで体が震えました。怖くて辛くてただでさえショッキングだと言うのに、落ち度があるとは何事!?どうしてそこまで責めるの!?と苛立ちが収まりませんでした。
私には忘れられない記憶があります。小学1年生の時のこと。もうすぐ掃除が始まるちょっとした空き時間、教室でぼんやりと立っていた私の背後からゾワッとした感覚が伝わってきました。振り返ると、クラスメイトの男の子と女の子がニヤニヤしていて…...当時流行っていたスカートめくりの代わりに、私のおしりを触ってきたのです。
何が起きたのか分からなかったけれど、とても嫌な気持ちになりました。それ以来、人に後ろから近づかれるのが怖くなってしまって。子どもの何気ないいたずらが、こんなにも長く心に残るものなんだと、親になった今、恐ろしさを感じています。
あのとき私には落ち度があったのでしょうか。ボーっとしていたから?実行犯もさることながら、横でニヤニヤしていた女の子にも愕然としました。私が苦痛を受けているのを楽しんで見ていたのか?と思うと軽く人間不信になってしまいます。
「落ち度」という言葉を子どもに向けるとき、大人は「気をつけなさいと言ったでしょ」「自分で招いたことだよね」というやさしくない言葉を使う。その刺々しさの裏側には、不安が見え隠れしているように思います。
「被害にあった子とわが子は違う」「うちの子は危ない場所に近寄らないから大丈夫」
こんな風に思いたい気持ちは痛いほど分かりますが、理不尽な目に遭った子たちは「特別」な子ではなく、どこにでもいる子。どうにか自分の子と明確なラインを引きたくて「落ち度があったのよ」と思い込みたい。そうしなければ心配で夜も眠れないから。
それに気づいたとき、子どもにどんな言葉を伝えていきたいのか、考えを改めました。
たとえば「人に迷惑をかけちゃいけないよ」という言葉。
それまで何度となく使ってきた言葉です。
インドでは、人に迷惑をかけないと生きられないんだから、他人の迷惑も許しなさいと教えられるそうです。困ったときはお互い様、積極的に助け合おうとするとてもステキで人間らしい考え方だと思いませんか。
だいたい、「迷惑をかけるな」も子どもにとってみれば難しい考え方ですよね。
子どものうちなんて人に頼ってしか生きていけないのだから、どこからが迷惑でどこまでならセーフなのか非常に分かりにくいと思います。
そのため最近は、こんな風に言い換えてみています。
「お友だちが困ってたら、声をかけて助けてあげてね」
「嫌なことされたら、イヤだって言っていいんだよ」
「相手が望んでいることをきいてあげようね」
「困ったときはお互いさま」「助け合えたらいいね」という気持ちを伝え、必要な手助けが届けばいいなと思います。
人に迷惑をかけるな、より、お互い助け合って生きていこう、の方が絶対生きていきやすいですよね。私たちの世代でそんな考えた方広まればいいなぁと考えています。
ではまた!