共同親権を求める別居親の実像
議事録読み終えていた頃、動きを発見
拙速というのがどういうことかよくわかる
昨日は、スペースで共同親権ポジティブトーク
今月の共同親権dayからの共同親権合宿の告知
ナニカがどう暴れようが、共同親権にはなる
ま、それが司法の反省に裏づかないものならば、まだまだ油断ならず、警戒心を持ちながらも、新しい法をよく見極め、個別の状況でどう攻略するかはまた冷静に戦略的に開拓することが必要になっていく
子育て現場から排除される親たち
昨日、今日と子どもたちの学校公開日で道徳公開授業もあったりして、よく知らなかったけど、おそらく著名と思われる方のありがたいご講演を聴講できたりした
子どもが自己肯定感を育み集中できる環境で学ぶことができるには、的なものが語られる
日々親子で暮らす中で、ちょっとした意識づけの機会を得て、より良い親子の時間へ成長していく
親子が一緒に暮らすことができると、それが当たり前のように保障される
もちろん無料なわけだ
しかし、その一方で、不本意にも親子での暮らしが途絶えてしまうと、「親」であったはずなのに、「親」としていることができなくなってしまうことが、日本全国のあちこちで起きてしまっている
知ることもなかった、政治のこと、民法のこと、国会ウォッチ、議員会館通い、陳情活動、そのための資料づくり、データ集めに分析、、、わが子と離れて暮らすだけでも辛いのに、不本意にも、自分の人生に想定しなかったことが起きていく
うまくできるわけでもなく、また、傷ついていく
子育てをする親の言葉を語りたい
わが子の成長を見届ける、それだけで、あふれる喜びがある
友だちの輪の中で、キラキラした笑顔を弾けさせ、この前入学したばっかりなのに、いっちょまえに社会の一員として、小学生らしく成長している
小学3年生にもなると、学びの内容がさらに濃厚で、物語を創作しようということまでよくチャレンジできていたりする
この前までそこに通っていたのに、すでに卒業生として、妹弟の様子を参観しようという高校生の兄も、懐かしさだったり、成長ぶりだったりを感じとったりして、もうだいぶ知っている先生もほとんどいなくなってしまったけども、懐かしく母校に戻ってみて、そんな姿もまたほほえましかったり
子育ての当たり前が奪われることが起きている日本
PTAはボランティア活動に変容していたけども、なぜか、安全パトロール隊が何かを監視している
一体何を監視しているのやら・・・
地域の方の参観も可能で、簡単に受付もあったりする
子どもたちの学びの様子を見守ることは地域にも開かれている
子どもの成長を見たい、その想いでいっぱいなのに排除されることが起こる
人の善意がそれを引き起こしたりもする
まだまだ社会はこんななのに、どういうわけか、ようやくとなんとか民法改正になりそうだ
それほどまでに
共同親権に正義がある
まともに勉強すれば、それは明らかなわけだけど、にしても、社会の準備が足りなすぎる
弁護士の勉強不足ぶりも顕著だし
おかげで、たま~~~~~~~に家庭裁判所の裁判官がちょっと心を見せてくれただけで嬉しくなってしまうこともあるけども、実際、とことん無力なこともよくわかる
いろいろな課題がまだまだ山ほどあって、どっから攻略するの?ここに来て、改めて絶望も覚えるのだけど
親なんだ!子育てがしたい!!
もうシンプルに、そうやってアクションするしかないんじゃないか
愛するわが子たちが心配です
親だもの、当たり前な話である
心配が過ぎるのも愛しているからこそ
魅力いっぱいの親たち
共同親権を求める親たちの実像
直近の活動といえばこちら
子育てをする親を応援すれば、笑顔になるのは親に限らず