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R7.2.7 お題チャレンジ #断捨離

つ い に

である

長患いしていた風邪症状からほぼ脱出し、元気を実感する

集中力もようやく復帰してきただろうか

今週さみしくなることがありました

世の中は、面会交流させない親はNGの雰囲気になってきているようだけど

風邪をひいている場合ではない 気合

気合の中、積読以上に問題となっていたモノ屋敷化問題に直面しているところがあって悪循環の極みに及んでいた

とても語るのも恐ろしい事態ではあったけども、今日、大きな前進となる小さな一歩を歩み出したのである

そのため、#断捨離 のタグを選んでみた

トップ絵も該当のものを拝借する

このまま、断捨離note化もいいかもしれないにしても、それは裏コンテンツにするとして、もうちょっと、共同親権の子育てに引き寄せた話をすると、実は通じるものがあると考えている

モノ屋敷問題に悩む中で、うっかり、広告の流れのままに、お片付け講座に関するプレ講座(ここまでは無料)というものを受講したことがある

悩みに寄り添い、でも、希望を示し、それっぽいデータも紐づけて説得力をもたし、そして、あなたも変わることができますと導いていく

そうやってその気になったところで、気になるお値段が発表されビックリしていく

ひぇーと思って、そんな金額では、そういう講座の受講者なんて少ないんじゃないか?と質問したら、そんなことはない、とビックリの受講者数を聴いて、また、ひぇーとなる

ひとりじゃなく、みんなと一緒だから頑張れる、というのである

幸いにもしつこく勧誘されるということがなくてよかった

ビックリしたけど、かといって、ウソを言っているわけではなく、たしかな魅力があるのだと思う

そして、まさしく、利用しなければ変われないという人もいるのだろう

仲間と共に取り組めば心強い

たしかな実績もあるようだった

しかしながら、申し訳ないことに無料のプレ講座だけで、刺さったことがあり

やらなければいけないもの
⇛やりたい!にチェンジ


という具合に意識を変えることが大事ということと、片付けのことなので、学びより、まず行動したいという衝動の方へまず響いた

モノ屋敷問題は、長年のことなので、ちょっとずつ断捨離とか聞きかじる機会はあったわけだ

そのことと、たとえば着眼点がちょっと変わるけど、やはり、通じているといわれる”お金ごと”の方でも、実際、通じる話が見えてくるのである

お金については、そりゃあった方がいいし、夢は描く

で、お金持ちはだいたいよく片付いている、ということも語られたりする

片付ければお金の悩みが軽減するような語りもあるし、逆もしかり

どうやら通じるものがありそうである

そして、憲法論にも通じるのである

憲法は、人権保障を掲げ、大事なものはカタログとして並べるけど、明記されていなくても、個人の尊厳という理念を根拠に、幸福追求権(憲法13条)として保障される利益があるとしている

生きていくことの利益は人権といえるけども、全く無制約ではない

他の人権と衝突するといった場合に調整の果てに制約されることがあり、その制約が許されるかどうかは、人権の性質に応じて、厳しかったり甘かったりする基準が変わっていく

いずれにしても、人権の制約があるときは、何かしらの経緯や事情があったりする

お金がたまらないのもそう

モノ屋敷化するのもそう

積極的にそうしたというよりも、いろいろな経緯や事情があって、そうなっているときに、突破口になるのは、目的にフォーカスするということである

現に起きている人権制約が許されるかどうか、制約する目的と照らして考えていくというのが鍵である

お金の問題についても、目的意識が大事というし、片付けの問題もそうである

片付けも頑張らなくても、生きていくことはできる

とりあえず全部捨てる、ってなってもいいだろうし、どうせ死を迎えたときには、あの世には持って行くことができないモノたちを、残された相続人がどのように扱うかという保障はない

後見人系の業務をして、見送った独居老人がなくなったあと、疎遠だった親族が相続人になったときにどうなったかというと、本当に切ないものだなとよく知った

わが子であればどうか

関係性によるかもしれないけども、なんだか残されて迷惑だなと心の隅で思って罪悪感を与えるようなことなんてしたくない

研ぎ澄ましていくと、これからどうありたいかという人生の目的が見えてくる

どう生きてどう死ぬか、そのためにどのように暮らしていくか、具体的な目標も見えてくる

片付いているかいないかでいえば片付いている方が響きがいいわけだけど、この目的・目標との紐づけがなければ、ただの義務感でしかなく、やらなければならないものは、日々の生活に追われる中では簡単に蓋をしてしまうことになってしまう

人権の話に戻ろう

尊厳と言い換えてもいい

人と人はそれぞれ個人として
尊厳ある人格的存在として尊重される

これは憲法の要請だけど、具体的な国民のひとりとしては、そんなフレーズひとつで魔法のようにキラキラ救われるものとも限らない

特定の一人を尊重する、それだけで、各人の個人の尊厳が守られる、というほど単純ではない

ある特定事項を尊重するあまり、他の事項が制約を受けるということは自ずと起こり得てしまうのである

権利と権利が衝突したとき、バランスよく調整をしなければならない

単独親権制における共同養育の実現のためにある手法が推奨されることがあるが、それはお互いの尊厳を守るものか、と問いたくなることもある

戦略的に余裕があるときであれば採用されてもいいかもしれないが、一般に推奨されるには、歪なことが起こっているように見えることもある

個人の尊厳は、それを守っていくことが目的になるし、極力制約されることがないというのも同意義であり、制約を受けたときには適切に制約を除去されるということまで含みうる話である

自由という空間があり、人と人と多様に存在する中で、どうやったって両立困難な状況になることはあり、どうしても択一的な選択を強いられる場合もありうるからこそ、あえて接しないという方法が有意義な場合もある

お互いの自由を尊重するということは、一緒にいることを拘束しない、離れる自由の保障によって実現するというわけである

一緒にいることを強いられるほど不幸なことはない

ずっと一緒にいるという約束があった方が安心という考えもあっての結婚制度なのだろうけど、家庭裁判所に行けば、どれだけの家族が離婚を求めて争っているだろう

離婚したい・したくない、の対立ばかりではないのである

お互いに、「離婚したい」というところでは一致しているのに、「どう離婚する?」のところで現行法が用意したメニューがあまりにも貧相すぎて結局揉めてしまう

「そんな貧相な条件では離婚できないよ」という争いになると、離婚したい側は、時間さえかければ最後には離婚判決が確定するかもしれないにしても、どんどん痺れが切れていく

一方で、離れるだけで、それだけで、だいぶ解決して、穏やかに幸せを感じることさえあったりもする

家族だから一緒にいる、ではなくて、一緒にいたくて一緒にいることを、人が家族と呼ぶ

夫婦もしかり

あ、親子はちょっと違う

親は子を養育するものだし、責任がある

子は親に養育されるものだし、それは権利だけど、適切な養育環境において安全が守られることは前提になる

残念ながら、それを叶えることができない親も実在してしまう

そういうときは、もちろん、厳密に審査の上だけど、国家が介入して子どもを守っていくというのが国家の責任になっていく

親だから子を養育するものだ、という権利ではなく、親だから子を養育する責任を全うすることを国家に対抗する自由があるという意味での養育権だろうか

いずれにせよ目的を見失うと途端にゴッチャゴチャになる

考慮しなくてもいいものを考慮してしまい迷走する

大事なものが何かを見失っていく

大切なわが子の成長過程を見落としたくなくて、全部思い出だからと捨てられなかったけども、本当に大切にできているのかわからなくなっている、このモノ部屋もそうかもしれない

お金のこと・片付けのことは憲法に通じるということで、いろいろ刺激を受けている本年、共同親権の子育ては、目的意識をもって主体的に生きる中で実現する、ということにたどりついたというわけである

お題から結局いつもの話へ

これがお得意の芸である

R7.2.7に始まる新しい暮らしを楽しんでいく


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弁護士古賀礼子
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