非婚差別撤廃!「面会交流」改め「親子交流」により、全親子がフラットに育んでいくおやこの時間の意義を深めていく時代へ~アイディドゥム~親子冒険編
またひとつのドラマを見届けた
感動的だったよ
そして始まる総選挙
公明党はよく整理されているね
単独親権制は恐ろしいので
恐ろしい
離婚したら、子どもは私のものとかいっちゃう恐ろしさ
冤罪問題と並ぶ人権問題だ
差別との戦いは終わらない
共同養育(=単独親権前提)では足りないのである
共同養育への違和感
連れ去りを撲滅してこそ
13年足踏みしていることが判明
あれ?もしやこの先生は?
懐かしいね
告訴アクションに期待
単独親権の犠牲者が続くの止めなくちゃ
ここ数年一貫してます
予言のようだよ
以前のポストが注目されている
そんな中でも素晴らしいおやこの時間
学校から変わることに期待
共同親権実感してる
変化を感じるのである
親子交流っていう言葉に変わったのもよかったなーと
ご縁あって、離婚などとは無縁そうな若い夫婦のパートナーシップを考える集いに参加したのだけど、たまたまよい人と出会った、産後もクライシスにならなかったっていうガチャ問題じゃなくて、ちゃんと努力して工夫しているのが素敵だな~というのがよくわかったのである
別居親だから努力を強いられるのではなくて、同居親だっていろいろあるのでイージーゲームでは全然ないし、夫婦円満に続ける人たちだって、相当な努力や気遣いをしているのである
皆婚主義を改め恋愛結婚至上主義化しているのだから当然だろう
毎日プロポーズしてますか?
パートナーシップ論でいえば、これに尽きるので、それはともかく、民法改正で面会交流から親子交流に名称が変わったことについて、面会交流支援機関として取り組んできた団体もアップアップするだろうし、当事者もそうは歓迎ばかりではなかったりもするけども、とにかく、別居や離婚後の親子ののための「面会交流」よりも、全親子にも通じる「親子交流」は自然でよいのではないかと気づく
もっとおやこの時間、ペアレンティングタイム、養育時間がよい、というのもそうかもしれないけど、試しに、共働き共稼ぎフルタイム不在がちワーママ、親子交流2時間やってみた!をトライしてみたのである
子どものために、三角定規を買いに行ったり、運動会も見に行って、写真や動画を撮ってアルバムにしてママ友と交換、撮影のためにカメラの準備をしておくとか、祖父母に連絡してプログラムの内容を伝えておく、とか、兄が部活のアイテム新調したいというのでお小遣いを渡し、連れてってもらうよう祖母に託すとか。。。
子どものためのあれこれや時間はいろいろあるけども。。。
子どもにガチで向き合う2時間って、本当にできているかな?と思うと自信がなくなってしまった
運動会だって、本当は、かけっこで1番になれるように当日の気持ちの応援だけじゃなくいろいろやれることがあったかもしれないのに、忙しさのあまり、当日を迎えてしまい、かろうじて前夜にお話するだけとなり
これも実はマシで、かつて兄が小2の頃、なんかリーダーグループとしてダンスのとき前に出てくることになっていたらしいのだけど、それもコミュニケーション不足に陥り、え?ってなってしまって。。。反省
紅組・白組どっちだっけ?を押さえるのも基本のはずが、怠りがちである
(今年は、小2と小4がそれぞれ応援歌を熱唱してくれたので、忘れずに済んだ)
運動会参観も、シミュレーションが必要だ
全体表現のプログラムの途中で移動をするから、本当は連携して配置を変えてスタンバっておくのがよいのかもしれない
50メートル走だって、やみくもにゴール近くよりも、どこで応援するかもまた吟味の余地ありだ
忙しいと、そういう余裕がなく、行き当たりばったりになってしまう
スタンバイするだけじゃなく、入場前に応援の声掛けをしてこそだったりするのに、忙殺される日々の中で運動会を迎えると、なんだか後悔ばかりになる・・・それでも昔は、振り返る余裕さえなかったかもしれない
あるとき、運動会の途中で地域全体の停電が起きて、日中だからまあいいのだけど、信号機も利用不可能な危険な状態になってしまって保護者のお迎えになったようなのだけど、中耳炎になっていた下の子の耳鼻科のために早く移動してしまったので、先生に送ってもらったということもあった
とにかくだ
一緒に暮らしているからって、子どものために丁寧に濃厚に過ごせるわけではないよ、ということ
ひとり親家庭でワンオペの極みになればなおさら、住民票上同居していても、意外に一緒に過ごす時間がWワークのために限定されるようなこともありがちである
だからこそ、全親子の親子交流をと思う
親子交流が直接的な交流に限定しないということへの抵抗感も聞くけども、手紙や写真・動画を通じた心の交流に助けられることもある
書道とか工作とか、一緒にいない時間に過ごした成果を感じて、成長を知ったり、声掛けが弾んだりもする
一緒にいない時間にだって親子の関係性を育むことができるはずだ
そうやって日々慌ただしく過ごし、せいぜい、朝ランドセルを背負って登校する背中を見届けるとか、ほんの瞬間的な関わりに追いやられることもある中で、いざ、はて、と2時間「親子交流」として過ごしてみようと閃いた
この前一緒に松本にも行ったし、基本的には隣にはいるけども、いろんな人と一緒になることもあったりするし、各々自由に過ごすだけのこともある
親子交流っぽくやってみようと思うと、でも、スマホに通知があれば、それに対応してしまうし、一緒に買物をするにもこっちの用事もあるから、若干目を離したりもしちゃうし
本当はもっと濃厚に、子どもが何に興味を持つのかとか、単なる移動時間でさえも近況トークとかを引き出して全力を尽くすような過ごし方がきっとあるんだろうな~と思うものの、ふだん、贅沢なことに一緒に暮らしているものだから、希薄にしか過ごせない
月に1回でもそんなスペシャルに意識して過ごせるものだろうか
毎週やってもいいはずではあるけども
子どもとの時間が制限されていることで悩む人がいることももちろん知っているけども、その時間を何よりも最優先に子どもに向き合い、それでいて、事前準備や事後の記録みたいに思い出を刻んでいくのも羨ましくさえ思うのである
気づいたらあっという間に高校生になってしまっていたから
それでも油断しながら過ごせてきたことはあるけども、本気で子どものためにと考えすぎて忙しくなって塾のこと習い事のこと、そういうのでスケジュールがいっぱいになってしまうというのも、これもまた果たして
親子は一生の関係ではあるけどもどうあるか、子ども時代は短いから、兄はむしろ進路のこととかで話すことができていたり、小学生も油断せずに意識高めに過ごしたい
親子交流アイディアも研ぎ澄ましていきたい
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