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凡人の方が非凡よりもエキサイティングな人生を送ることができると信じたい
世の中の人は2種類に分けられる。凡人と非凡。そして僕は凡人。しかも不器用。
非凡と凡人のどちらが良かったかと問われると、もちろん非凡に生まれたかった。
勉強ができて一流大学に入って高学歴という勲章をひっさげて、一流企業や国家公務員として働く。
そんな優越感を味わいたかった。でも、凡人の僕には無理だった。
この不公平に対して、神様を恨んでいた。
「なぜ僕は凡人に分類されたんだろう、なぜ神様は才能を与えてくれなかったんだ」とひねくれた感情を持っていた。
自分が非凡に生まれたらと想像してみた
ある日、ふと想像してみた。
「もし僕が超非凡な才能を持って生まれていたらどうなっていただろう」と。
もし、勉強の才能があったら、東大に入って官僚になる。エリートのレールに沿った人生を歩む。定年退職後は、天下りして死ぬまで安泰。
もし、スポーツの才能があったら、幼少期から周りから期待されて、中学・高校で実績を残してプロ選手になる。
その競技で現役時代に大金を稼いで引退する。その後は指導者になって、若手を育成。過去の栄光で生きていく。
もし、容姿に恵まれたら、幼少期から常に周りからチヤホヤされて過ごす。
努力や苦労を知らずに、アイドルやタレントになって芸能界で活躍する。
生まれつきの容姿が評価されて成功したせいで、自ら努力した経験がなく、礼儀や社会の常識が抜け落ちている。歳をとるにつれて周りに注意してくれる人がいなくなり裸の王様になる。
(注:これは100%僕の偏見です。)
非凡の人生は楽しいのか?
才能に恵まれて上記のような順風満帆な人生を送ることは楽しいだろうか?
才能があるが故に、とんとん拍子でうまくいく。そして自分の能力を過信する。
自分はすごい、偉いと勘違いする。
周りの人に支えられていることや感謝の気持ちを忘れて、独りよがりな性格になる。
その結果、心から通じ合える友達はできない。利害関係をベースとした人付き合いしかできなくなる。
加えて、才能に導かれるままに生きる人生はオリジナリティがないと思う。
同じ才能に恵まれた先人たちが既に切り開いてきた道に沿って同じことを繰り返すのは、楽しいだろうか。
凡人にもメリットがある
一方、凡人には才能がないために、いろんな分野に挑戦できるという特権がある。
その分、挫折の回数も多い。でも挫折を繰り返すことによって知恵がつく。
才能はないけれど、少しだけ得意なものを複数見つけることができる。
そしてそれを掛け合わせることで、その凡人だけのオリジナリティにあふれた才能となって、非凡と勝負できるようになる。
そう考えると、どちらのほうがエキサイティングな人生をおくることができるか?
それは凡人だと思う。
特に、数多く挑戦と挫折を繰り返した凡人。
「自分はできる」と勘違いして挑戦する凡人が一番濃い人生を歩むことができるんじゃないかと思う。
だから凡人に生まれてたからといって、卑下する必要はない。
凡人は、挑戦し続ける限り非凡よりも充実した人生を歩むことができる。
最後に
僕は勘違いした凡人になって、最終的に非凡の人よりも濃い人生を歩みたい。
死ぬ間際に「悔いはない人生だった」と思いたい。
だから、今も夢に向かって挑戦しながら失敗を繰り返している。
最終的には、凡人のほうが非凡よりもエキサイティングな人生を送ることができること身をもって証明したい。
(注:これは僕の個人的な見解です。正直に言うと、僕の非凡の人に対するひがみです。非凡で才能がある人で人格者はたくさんいます。誤解のないように付け加えておきます。)