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《#古代は面白い》 伝説の前方後円墳

倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)と大物主神(オオモノヌシノカミ)の三輪山伝説は、日本書紀の崇神天皇の段にあります。
                                              〈現代語訳〉                                                               大物主神の妻となった倭迹々日百襲姫命は、夜しか現れない大物主神に、「朝まで留まり姿を見せて下さい」と懇願した。大物主神は、「明朝、あなたの櫛笥に入っていますが、どうか私の姿に驚かないようにして下さい」と言って願いを聞き入れた。翌朝、姫命が櫛笥を見たら、美しい小さな蛇が入っていた。その長さや太さは衣紐のようであった。姫命は驚いて叫んだ。大物主神は恥辱を感じ、たちまち人の姿に変わり、「あなたは我慢できないで私に恥をかかせた。私は報復としてあなたに恥辱を加えるだろう」と言うと、大空を舞って御諸山(三輪山)に登られてしまった。姫命は御諸山を仰ぎ見てへたりこんでしまった。そのとき箸が陰部に撞きささり亡くなってしまった。そして大市に葬られた。だから当時の人はその墓を名づけて箸墓と言った。箸墓は、昼は人がつくり、夜は神がつくった。大坂山の石を運んで築造した。山から墓まで人民が立ち並び、石を手から手へ渡して運んだ。 
時の人は歌をよんだ ~大坂に 継ぎ登れる石群を 手逓伝に越さば 越しかてむかも (大坂山に 下から上まで続いている大量の石 手渡しで渡して行けば渡せるだろうか)~ 
                                                           ※(一考)箸墓を造る場面に『大坂山の石を手渡しで運んだ』『昼は人がつくり、夜は神がつくった』などとあります。昼は、人々が山から墓まで並び立って手渡しで石を運び、夜は神つくる。正に昼夜兼行で造っています。
これほど急いで造った理由は何だったのか、知りたいものです。
【見出し画像は、右手前の森が箸墓古墳で奥が三輪山】


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