現在の前方後円墳は樹木に覆われ、造られた当時の姿は分かりません。復元されたものを見ますと、墳上に円筒埴輪を並べ、周囲を葺石で敷き詰め覆っています。周辺の自然とは大きく異なり、異彩を放ち、威容を誇るものであったことが想像されます。【見出し画像は、山の尾根に造られた千曲市の森将軍塚古墳】
倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)と大物主神(オオモノヌシノカミ)の三輪山伝説は、日本書紀の崇神天皇の段にあります。 〈現代語訳〉 大物主神の妻となった倭迹々日百襲姫命は、夜しか現れない大物主神に、「朝まで留まり姿を見せて下さい」と懇願した。大物主
前方後円墳は同じ規格で五千基以上も造られました。遙か大昔に、これ程の数の墳墓を、同一規格で造ったというのは驚きと言うしかありません。これら前方後円墳にはモデルと言われている墳墓があります。奈良県桜井市にある箸墓古墳です。倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)の墓と伝えられ、大物主神との三輪山伝説で知られる墳墓です。
前方後円墳は古墳時代に盛んに造られ、古代日本において最も興味深く、謎に包まれた存在です。その最大のものは堺市にある大仙陵古墳で、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵とならぶ世界三大墳墓のひとつです。古代日本の土木技術の高さを示しています。すごいことです。【見出し画像は大仙陵古墳】