【校閲ダヨリ】 vol. 39 「こんにちは」は「こんにちわ」ではダメなのか
みなさまおつかれさまです。
幼い頃に習って、理由を考えるまでもなく現在もそのままなんとなく過ごしている言語事項は多いですが、おそらく助詞「は」もその部類に入るのではないかと考えています。
『デジタル大辞泉』によると次のようにあります。
この辞書では係助詞に分類されていますが、副助詞とする学者もいたりするので、今回は助詞という大項目のひとつとして扱います。
意味は記載の通りなのですが、補説としてこんなことも書かれていました。
つまり、若者が用いる傾向にある(意図してか意図せずしてかはわかりません)
「こんにちわ」や「こんばんわ」は普通ではないことになります。
今回まで私の校閲ダヨリにお付き合いくださっている読者のみなさまにおかれましては、日本語のあいまいさをかなりご存じのことと思われますので、
「普通」とは何を根拠に、そんな正解じみた言葉を使っているのだ。
と一石を投じる思考が働いてくださるとうれしい限りです。
結論から申し上げると、根拠というか、これに関してはルールがあります。
「現代仮名遣い」と呼ばれるものがそれですが、これは戦後の1946(昭和21)年に内閣訓令という形によって明文化されました。ソースがよくわからないお役立ちサイトでは昭和61年の内閣訓令第1号を根拠に上げているものがありますが、少なくとも助詞「は」においては昭和21年の訓令が正しいです。
それぞれ、どんなことが書かれているかというと
基本的にどちらも同じようなことが書かれています。
昭和61年訓令には例として「こんにちは」「こんばんは」があるので、明確になった感じですね。
つまり、助詞「は」を「わ」にしてしまうのは現代仮名遣いという土俵において不正解となるわけです。
では、「こんにちわ」「こんばんわ」に浮かぶ瀬はないのか。
ここから先は、苦しい論にはなりますが、「こんにちわ」「こんばんわ」を実験的に、少し擁護してみたいと思います。
正当な進化説
「は」の助詞脱却
「こんにちは」という言葉を考えた時に、もともとは
「今日(こんにち)は、お元気ですか」といった、続く言葉があったので「は」はいうまでもなく助詞ですが、現代においては「konnichiwa」で完結と、続く言葉の存在が、単なる省略の概念を超えて消え去っています。
すると「konnichiwa」がひとつの単語として認識されていることになります。
「wa」は助詞から脱却し、「は」ではなく「わ」になるという考え方です。
「は」が「わ」に変わるのは自然な流れ
現代仮名遣いの前は、歴史的仮名遣いですよね。
これは、主に平安中期以前の万葉仮名の文献に基準をおいた “契沖” の『和字正濫鈔(わじしょうらんしょう)』の方式によるもののことを指します。
(契沖『和字正濫鈔』国立国語研究所蔵)
歴史的仮名遣いにおいては語頭以外の「はひふへほ」は、「わいうえお」に直して発音するという決まりがありました。
これは「こんにちは」も同じですが、助詞を除く「は」は、昭和21年訓令で「わ」に字ごと直されています。
瓦(かはら)は「かわら」に、河(かは)は「かわ」、庭(には)は「にわ」などといった風に、「こんにちは→こんにちわ」型の発展を遂げているのです。
助詞「は」だけが進化の途中でBボタンを押されているように、この時点から旧形態が保存されているほうが、進化という点では不自然なようにも考えられるのです。
以上、「こんにちわ」「こんばんわ」がその正当性を主張できそうな論を考えてはみましたが、「ら抜き言葉」ほどは単語自体が浸透していない感もあり、市民権を獲得するまでにはまだまだ時間がかかるのかなと思われます。
どんな言葉を選び、どんな書き方をするのかは発信者の裁量ですが、現時点で少なくともルールが存在する言葉にかんしては慎重になったほうが良いかと考えます。
「目は口ほどに物を言う」ではないですが、書き言葉は、話し言葉以上に物を言う場合があります。場面に即した語選択・書き方をすれば大きくイメージアップを図れる場合もありますし、逆のことをして取るに足らない人物と見なされてしまう場合もあります。
みなさまが、言葉を通して理想の人生を歩めますように。
それでは、また次回。
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