菅野完さんのAV・性産業論
菅野完さんが労働環境に着目してAVや性産業に対する規制があるべきであると主張しているようです。
なお、画像は菅野完さんが大好きであろう行為を検索してヒットしたものをお借りしています。
菅野完さんは、ひょっとしてAVや性産業の「設定」を「本当にそうやっている」と信じ込む方なのかという疑問が湧いてきました。なぜならば、AVや性産業において他人の粘液や体内に何の防護手段もなく触れることが当然視される環境のセックス・ワークは、適正AVやそれなりにきちんとしている性産業においてはあり得ないからです。その気のない女性に対してその気があると思い込んで性行為をなそうとして民事訴訟で賠償命令がなされた菅野完さんが、様々な思惑やしがらみのある社会に対する知識がないため的外れな主張をしてしまうことは同情いたしますが、その主張が現実となったときに女性に対する弊害が非常に大きくなってしまうことだけは肝に銘じてもらいたいものです。
例えば、立憲民主党の塩村あやか参議院議員などが適正AVに対する規制を主張し、与党である自由民主党の議員がそのような主張に乗る形で制定されたAV新法が適正AVに対する大きな打撃となって、より女性の人権が守られない違法なAV撮影を行う個人や団体が焼けぶくれする形となったのは皆さんもご覧になったとおりです。
仮に菅野完さんの主張する規制をAVや性産業に対してなすならば、大久保公園で性を売る女性が増えるだけであることがどうしてわからないのでしょうか。そのような極端な主張をなした意図を考えると、フェミに媚びようとしているのではないかと邪推すらしてしまいます。
女性の自己決定権の否定
菅野完さんの主張を丹念に読むと、女性の自己決定権を否定する方向に傾いていることがわかります。確か、菅野完さんは米国での同居女性に対する暴力事件や性的暴行を理由に民事訴訟で賠償を命ぜられた「事件」において、ご自身がミソジニーではないかと考えてカウンセリングを受けているとおっしゃっていたことを思い出しますが、不幸になる決断も含めた女性の自己決定権を男性が認めずに、自分が考えた女性が幸せになるであろう生き方に現実の女性を当てはめようとする考え方の中に、女性を一人の人間として考えていない意識が根底にあると私は感じます。つまり、「余計なお世話」なのです。
そのような意識は「人権ゴリゴリ」とご家族に評価されている神原元弁護士の発言にも垣間見えます。そのような主張に対する松沢呉一さんの反論も含めて今回の菅野完さんの発言を考える上での参考資料としてお示ししておきます。