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民事訴訟における募金やクラウドファンディングに関する神原元弁護士に対する私の認識

松沢呉一さんの神原元弁護士評

 タグマには様々なマガジンがありますが、私が購読しているマガジンの中に「松沢呉一のビバノンライフ」があります。一か月に1回過去記事の焼き直しでお茶を濁すことの多い安田浩一さんの「安田浩一ウェブマガジン ノンフィクションの筆圧」と比較しても非常に読み応えのある記事が多く、一般社団法人Colaboをめぐる問題についても売春防止法制定に伴って設置された婦人相談所、婦人相談員、婦人保護施設などが法律制定から年月を経てその役割を終えようとしていること、これまで売春防止法のもとで設置が義務付けられていた婦人保護施設である「慈愛寮」を北原みのりさんなどとの関連も深い矯風会の傘下である社会福祉法人慈愛会が運営していることなど関連情報の整理のために購読しています。

 この松沢呉一さんが神原元弁護士について触れています。

すでに多くの人が指摘しているように、神原元弁護士のダブスタは相当に恥ずかしい。

「自分はいいけど、他人はダメ」のダブルスタンダードは恥ずかしい

このツイートはさらに続いていて、「裁判費用についてカンパに頼ると、特に原告の場合、裁判にかける弁護士のモチベーションも下がるリスクもある」「カンパからお金を受け取った弁護士は依頼者に対して無責任になるリスクがあるのだ」などと言っております。

「カンパなりクラファンで裁判をすることを全て否定するつもりはない」とも書いていますが、そのツイートでは「無闇にカンパに頼るのは慎重であるべき」とまとめています。

ご立派だと思いますが、カンパは原告なり被告なりの判断に影響することがあっても、自分はその判断に従うだけと考える弁護士の方が多そうですから、ここに書かれたようなリスクに該当する弁護士は相当に少ないのではなかろうか。結局のところ、神原弁護士は自分は出資者の顔色を見るし、モチベーションが下がる可能性があると告白しているに過ぎないように思えます。

「自分はいいけど、他人はダメ」のダブルスタンダードは恥ずかしい

私の神原元弁護士評

 民事訴訟をめぐる募金やクラウドファンディングに関する神原元弁護士の姿勢について、松沢呉一さんはダブルスタンダードと切って捨てていますが、私の神原元弁護士評は少し違います。
 ブログ「余命三年時事日記」に誘発された弁護士への大量懲戒で、佐々木亮弁護士や北周士弁護士は大勢の被告を相手にしなければならないことで郵券などがかさむことを理由として民事訴訟をクラウドファンディングで集めることにしていたのはご存じのとおりです。同様に大量懲戒を受けたことで同じ事務所の宋恵燕弁護士の原告訴訟代理人兼原告として民事訴訟を提起した神原元弁護士は、募金等に頼ることなく民事訴訟を進めていきました。その結果は、大量懲戒関係裁判では唯一といってもよい弁護士側の敗訴という結果でしたが、神原元弁護士が募金等に頼ることなく民事訴訟を進めたことには神原元弁護士の信念を感じます。つまり、神原元弁護士は本気で自身が関わる民事訴訟で募金やクラウドファンディングを介在させたくなかったのであると私は思っています。
 ここで大きな矛盾や疑問が生じるのは、この神原元弁護士がすでにクラウドファンディングを行っていた李信恵さんの訴訟代理人に就いたり、一般社団法人Colaboのクラウドファンディングに抗議して訴訟代理人を辞任しないのはなぜでしょうか。
 それは、神原元弁護士の野心にあると思います。神原元弁護士が訴訟代理人兼原告を務めたブログ「余命三年時事日記」関連大量懲戒民事訴訟において、神原元弁護士は懲戒請求されていると弁護士会の役員などを務めることができないなどという理由で懲戒請求による宋恵燕弁護士や自らの損害の大きさを述べています。自らが所長を務める武蔵小杉合同法律事務所に所属する宋恵燕弁護士の訴訟代理人として、また原告本人として書いた準備書面ですから神原元弁護士ご本人の考え方が色濃く反映されていると言えるでしょう。この準備書面から感じるのはご自身の上昇志向という感覚を持った野心です。神原元弁護士は、しかるべき組織の顧問弁護士を経て神奈川県弁護士会の会長の椅子を狙っていらっしゃるのでしょうか。それとも、「ネトウヨ絶対○○マン」や「常勝弁護士」を超える名声を狙っていらっしゃるのでしょうか。
 そのような野心があればあるほど、自身の所属する自由法曹団と強い関連性のある日本共産党の意向が強く反映された言動を批判することなどできません。なぜならば、神奈川県弁護士会の役員にしろ、日本弁護士会連合会の役員にしろ、選出されるためには弁護士会内の派閥の力がなければ不可能となりますので、神原元弁護士がそのような野心を抱いているならば所属する自由法曹団への配慮は欠かせないものとなります。このような状況にあるのではないかと考えると、神原元弁護士はご自身の信念と野心との間で板ばさみになっているのではないかと強く感じるのです。