読書録ー貧農史観を見直す

-貧農史観を見直す-

農村は貧しい悲惨な場所だと思っていた。

でも、同時に風習や祭りなどを生み出した
日本豊かな文化が刃具まれた場所でもあると思っていた。

悲惨さと豊かさが同時に想起され、
ずっと違和感を感じていたけど、
ようやくそれがとけた。

農村は、少なくとも
江戸時代の農村は豊かだったのだ。

ずっと豊かだったのではなくて、
天候に左右されたり、地域によって違いはあったと思う。

けど、この本を読んで
江戸時代の農村が比較的
衣食住満たされ、余暇も楽しんでいたことが分かった。

特に印象に残ったのは、
時代を下るとともに
農休みが増えていったことである。

農休み中には、
お祭りや行事が行われ、
村人みんなで楽しんでいたようだ。

これは、日本農農村に僕が持っていた
豊かな文化のイメージの源であると思う。


農村の意外な豊かさ以外に
この本を読んで興味がそそられた部分がある。

それは、農民におけるイエの成立に関してである。

もともと日本におけるイエは、
公家や武家などの支配層の者であった。

これが、農民にも成立したのは、
江戸時代中期に
農村内部に本百姓や水呑といった階層が形成されてからである。

農村内部に階層が形成されたが故、
自分の階層を守り、子孫に引き継ぐことにより、
ムラの秩序を守ろうとして
農民に”イエ”意識が形成された。

この農村内部に階層関係が形成されたことが
特に昭和のころまでの日本人を特色づけた
”イエ””ムラ”意識を作ったのだ。

さらに言うと、この農村内部の階層は
日本農業の構造変化による。

江戸時代中期まで、
日本農業は大開拓時代であった。

ともかく、新耕地を開拓して
経済の成長を実現していった。

しかし、新耕地にも限界がある。
いづれ、当時の技術力に応じた
開拓地の減少に直面する。

このことにより、
ムラの規模は一定となり、
村に居住する権利を保証した
本百姓の固定化が起こった。

本百姓の固定化によって
ムラの秩序はイエ単位で守られるようになった。

そして、日本人の”イエ””ムラ”意識を作った。

僕は、開拓地の減少という江戸時代の経済事情が、
現代に続く日本人の特徴を作っていたことに面白さを感じた。

本を読んだり、いろんな日本人エピソードを聞くたびに
感じていた疑問が解消されたような気がしたからだ。

なぜ、日本人はこんなにムラ、イエを気にしておるのだろうかという疑問が、だ。

これまではそもそも疑問が言語化されておらず、
自分自身にムラ、イエ意識が希薄だったこともあって
スルーしていた。

しかし今回の説明は自分にとってすとんと納得のいくものだったから、
いつもより印象に残った。

特に僕は、一見関係のないものが関係があると示されるのは好きだ。

今回の”ムラ””イエ”意識の説明はそう意味でも面白かった。

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