見出し画像

兄の事故

昔、兄が自転車で大けがをして12時間の大手術を受けたことがありました。
何でもあと1センチ骨折がずれていれば命はないと言われたそうです。
(未だにその意味が分からない(*´∀`)看護師ですが・・・)

当時のことを思い出すと「事故をするとはこういうことなんだー」と感じたのを覚えています。
兄の事故の知らせを聞いた時の両親の動揺、病院に駆けつけた時の緊張感...。

手術後、医師から「あと1センチ骨折がずれていれば命はなかった」と告げられた時の衝撃は今でも忘れられません なんせ顔面強打でしたので。
当時の私には、その言葉の重みを完全に理解することはできませんでしたが、兄の命が危険な状態だったことは感じ取れました。私はお隣さんに預けられ両親は数日病院泊りでした。

その時に担当だった看護師さん(今思えば看護学生さん)がとても親身に兄の看護をしてくださいました。
※北野坂にあった神戸市民病院の看護学生さん。

その看護学生さんの姿は、今でも鮮明に覚えています。優しく丁寧な言葉遣い、患者の痛みに寄り添う姿勢、そして何より、兄や私たち家族に対する温かいまなざし。彼女の存在は、不安と緊張に包まれた病室の天使でした。

前のブログにも書きましたが、私の祖父の窒息事故の数年後に天使のような看護師さんに出会いました。
その時も私は思います「なぜ同じ看護婦さんなのにおじいちゃんの看護婦さんとお兄ちゃんの看護婦さん、こんなに違うの?命を守るためにこの仕事を選んだはずなのに・・・なんで???」

このコントラストは、幼い私の心に深く刻まれました。同じ「看護師」という職業なのに、なぜこんなにも違うのか。祖父の時の不の感情的な対応と、兄の時の温かく人間味のある対応。この違いは何なのか、その謎を解き明かしたいという思いが、私の中で大きくなっていきました。

猛烈に看護師になってその答えが知りたくなる中学生でした。

その後何年後かに神戸市で「1日体験看護師」という中学生の職業体験があり、東神戸病院に体験学習に行きました。
憧れの看護師のキャップ、白衣を着て、ナースシューズと白いストッキングを履き💛
(すみません・・・昭和なもので)

その日のことは、今でも鮮明に覚えています。白衣を着た瞬間の高揚感、キャップをかぶった時の誇らしさ、ナースシューズを履いた時の決意...。全てが特別な思い出として心に刻まれています。

その時は確か、畜尿されている患者さんの尿破棄をお手伝いしたような記憶があります。
それでも看護のお仕事をお手伝いできた感激は今でも忘れません。

そんなこんなで35年以上憧れの仕事を続けています。

そして最近、やっと子供の頃からの疑問に対する答えが見えてきた気がします。

それはまた次回・・・


いいなと思ったら応援しよう!