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高堂つぶやき集。
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2021年9月の記事一覧

あたかも今が最期のように生きるのと、まるで永遠の命があるが如くふるまうのは同義になる。時と母語の潜在意識への刷り込みがかなり根深いので、この星ではイマとトワが対極に映る世界觀にどうしても邪魔されてしまうが、一期一会。イマをさしおいてトワはなく、トワをさしおいてイマはないのである。

いつの年の夏だったか、外でジントニックを樂しんでいると、スズメバチもほろ酔いたい氣分だったようで飲み会に参加してきた。ジンを嗜む姿は酒豪のようであった。蜂が去ったあと、私はそこはかとなく酒を飲み直したが、周囲の友人らが「また飲むの?」と苦笑していた。あなたなら、どうしただろうか?

昔、カンボジアの動物園でどう脱けだしたのか、一匹の猿が檻の外側から内側の群れにむかって「中に入れてくれ」と云わんばかりに檻にしがみつき、叫んでいた。折角、外に出れたのだから、そのまま自由になればよいのに猿も人もそれがなかなかできない。一見きれいな群れからでることこそ、美味なのだ。

東南アジアでは時折、妙に凹んだ道に出くわす。そこの村長がコンクリート代を横領し過ぎたためだと地元の民は云う。兎にも角にも、地球規模で道が不自然になったのはいつからだったか。人が裸足を棄てたのはいつなのだろうか。道が不自然になるのと比例し、人としての道もいびつになったのであろう。

来週末の茶会で用いる茶碗は隻腕の陶工が作ったもので、永くろくろを回されてきた。去年の三渓園の茶会でも彼の茶碗と花器を使わせていただいたが、茶室入り口に椿を活けたら「あれ、わしが作ったの」と喜んでおいでたが、今年もその自慢話を聞かされたから「花を活けたのは私」と自慢し返しておいた。

お金と労働は本来、関係がない。誰かが強烈にその方程式を植えつけたに過ぎない。時計も本来は時間を示していない。誰かが時を平等に進めたかっただけのこと。身体と健康も本来は蜜月の関係にない。誰かが身体を機械的に見せた方が都合がよかったのだ。しかし読書だけは別格で森羅万象に関与している。