脅しの善悪。2月3日は節分。
※この記事は過去のリライトです。
私の仕事は、保育士でした。
保育の中で文化の伝承があります。
本日は節分。
子どもに文化を伝えることは大切ですが、
伝承を伝えるだけでは、これからの時代ダメなのかもしれません。
節分は春の訪れを知らせる文化だけど
「みなさんは、節分というと何を思い浮かべますか?」
そりゃあ節分と言えば、
「鬼や豆でしょ」という答えが多いでしょう。
いや、今は恵方巻かもしれません。
保育園でも鬼のお面や豆まき用の豆入れを製作で作っていました。
日本の文化を子どもたちに伝承していくという役割があるから、
私たち保育士はその活動をずっとやってきました。
もともとは春の始まりを喜びみんなの幸せを願い、
鬼(病気や災難)を祓い、
福を招き入れる風習が「豆まき」に転じたものです。
ただこの流れを幼児期に説明してはみるものの、
0歳~5歳で理解できる子は少ないのが現実。
だから「豆まきごっこ」という遊びの中で伝えていきます。
普段は年上の子が鬼役になってくれ、
年下の子が豆を投げる遊びをします。
保育士が部屋に泣き虫鬼とか怒りんぼ鬼の絵を描いて
そこに豆をぶつける遊びもしています。
豆は小さくて誤飲の危険があるので、
あえて新聞紙を丸めたボールを
投げるようにして安全に配慮。
ただ、節分当日は鬼(大人が変装)が悪い子を捕まえて脅かし、
「大人の言う事を聞かないやつは食べてやる~!」と襲ってくる日。
時に担任が連れ去られるという演出も。
(勇気のない子が多いクラスだと助けてもらえないまま)
もちろん演技ですが、子どもたちにトラウマを残すのでは?
という議論が起き名古屋市の全保育園に、
子どもをあまり脅かしすぎないように!という伝令が流れました。
昔は、保育園にも学校にも集団にはどこにでもいる、
いわゆるやんちゃと言われる子どもたちを中心に脅かして、
先生の言うことを聞くように指導していた時期がありました。
効果は2~3日ありましたがやんちゃな子はやんちゃのままです。
鬼が1日来たからって、すぐには彼らは変わりません。
ただの、先生側のガス抜きでした。
17年も保育士をしているとそんな流れも経験してきました。
(きっと、今は考えられないのでしょう)
脅しの善悪
昔の日本の教育だったらよくある光景で善だったのでしょう。
でも現代のコンプライアンス的には悪でしょう。
そもそも脅かす必要はあるのか?
節分は鬼が来て、豆まきをして、お福さんが優しく助けにくる流れで。
昔の教育なら上司のいう事をしっかり聞いて
日本の高度経済成長期に貢献することが良しとされている時代、
鬼にも負けない強い子にという願いもあったのかと思われます。
どんどん仕事をこなして、サラリーマンとして組織に属し
素直に聞く社員を増やしたかったのです。
(だって、何か意見を言う人がいると生産がすすまないから)
いちいち「どうして僕たちは働くんだろう?」とか、
「これを何のためにやっているんだろう?」なんて考えている社員が
沢山いたら会社としては扱いづらくなります。
労働力としてきちんと働いてくれる社員が沢山いるといいから、
言われたことをすぐに理解してきちんとできる人が望まれたのです。
そんな社会に適応できる人を教育してきたから、
脅しもOKで社会からはみ出さない子をよしとしてきました。
誰も怒られたくないから反抗しない。その方が管理側が楽です。
でも、日本の成長力は落ちています。
これから伸びていくデジタル産業に乗り遅れてしまいました。
とはいうものの日本とは恵まれている国なので、
みんなそこまで心配せず楽観的です。
このきちんとできる人教育のおかげで自分で考えられなくなっていて、
コロナや物価上昇や気候変動などの外的要因の
不安に押しつぶされているのかもしれません。
このまま集団の中でいい子でいる教育を
つづけていてはダメだと気づき教育改革を進めている人も
少しずつ増えてきました。
これからの時代自分の頭で考えられる子を増やしていこう!と。
アクティブラーニングとか、
思考力を伸ばすため試験のあり方とかを模索しています。
だから、「節分」という行事1つでも
脅して集団の統制をとっていくよりいろいろな子の才能を認めて、
その子自身の考える力を伸ばしていく方向にどうにかできないか?
そうはいうものの、現場はすぐには変わらない。
保育士もバカではないので、
いろいろな研修に行っていろいろな事を学んできました。
でも、今までやってきた風習を変えることってすごく難しいのです。
変えない方が楽だし、変える意味をわかっていない先生が
現場に1人でもいると反発が起きます。
頭でわかっていても実践に結び付かないんです。
みんな真似は上手なので、どこかの保育園が
こんなやり方していたよ!っていうのが広がって、
はじめて現場は変わっていきます。うちでもやってみよう、と。
心の中の鬼をやっつける
私が年長児を担当した時、こういう流れの中での節分でした。
年長児中心にどうやって鬼を追い払うかを話し合ったり、
あらかじめ鬼がこないようにヒイラギやイワシの頭を
保育園中に結界のように張り巡らせようという
子どものアイデアをいかした対策をやっていきました。
(このヒイラギの調達やイワシの頭が担任の自腹なのを何とかしてほしい)
それだけやっても、怖すぎて節分当日は保育園をお休みする子もいました。
怖がりの子はいつだっています。
その子を泣き虫だとみて泣き虫鬼を体の中から追い出そう。「ほら、おにはーそと!」という感じで、心の中にいる「泣き虫鬼」「怒りんぼ鬼」「いじわる鬼」と闘うように仕向けることもありました。
私も保育でやっていました。
でも、これっておしつけだったなって今は反省しています。
ある先生が
「自分の感情のコントロールって幼児期には難しすぎないかな?
コントロールよりも感情を出すことでいろいろ学びがある。」
という発言をきっかけに。
確かに感情コントロールは大人だってできない人もいる。
こういうことは日常で大事にしつつ、
行事ではその都度子どもたちとどう創っていくのか話すのが大切だなと思うようになりました。
今の私の心の中にだって人の事を羨ましく思う「いいないいな鬼」や
運動が続かない原因「さぼりたい鬼」なんてものがいるわけで、
大人でも感情のコントロールはかなり難しいことを実感しています。
みんな大変なのです。
それでも、子どもたちと一緒に話し合ったり、行事食を楽しんだりしながら、四季の中の節目節目を大事にして過ごしていく。
暮らしを大切に。
これが積み重なって、日本らしい伝統文化になるのでしょう。
私たちらしい文化ができていく。
日常の気づきも大切にしながら、行事を楽しむ。
さぁて、私もそろそろ恵方巻を買いに行ってきます。
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