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沖縄そばのススメ

GWに沖縄そばを食べた。ふるさと納税で手に入れた「ソーキそばセット」はスープとソーキを温めて、麺を茹でるだけで仕上がる。せっかくだからと青葱も刻んで散らしてみると、自宅にいながら沖縄気分を味わえる。

送ってもらったのは名護市の返礼品。ソーキそばのルーツのお店の商品だそうで、ソーキも三枚肉も大ぶりで食べがいがある。それでいて味は濃すぎず、スルスルやっているとすぐに丼が空になる。

修学旅行、妻との夏休み、出張、親戚の結婚式。沖縄にはもう10回は出かけたはずで、楽しい旅の記憶を振り返りながら麺を啜るのもいいものだ。

美ら海水族館、古宇利大橋、読谷の焼き物、恩納村のビストロ、松山の夜。ビーチパーティで飲ませてもらったビールは人生最高を競うくらい美味かった。沖縄を訪ねるときは仕事がらみでも、どこか気楽な旅行人になってしまう。

一方で最近になって、沖縄という言葉に“居心地の悪さ“を感じるようにもなった。

「宝島」と「海をあげる」。この2冊を読んで殴られたような気分になって、いまも胸にトゲが引っかかっている。

どちらも基地問題を扱った本で、特に「海をあげる」は強烈だった。美しいタイトルから爽やかさを期待しながら読み始めたはずが、読み終えるころには生き埋めにされたような気分になる。

気まずさから手に取った歴史本によると、「南国の楽園としての沖縄」と「基地所在地としての沖縄」は、今やパラレルワールドのように扱われているそうだ。「基地がないようなものとして、沖縄を消費ばかりする本土」ということらしい。NHKの世論調査では「本土の人は沖縄の気持ちをよくわかっていない」と答える人が増えているとも書かれていた。

ひたすら浮かれ気分で修学旅行に出た高校生の自分は「若さゆえ」と許してもらうにしても、それから十数年後の宜野湾のトロピカルビーチでも無邪気にビールを飲むばかりだった自分はどう映っていたか。

それでいて基地が不要とも思えない。そこで思考が止まってしまい、結局、基地のことはすっかり忘れることになる。何かのきっかけでチクリと思い出すことがあっても、少し経てばまた忘れてしまう。

今年は返還50年で基地問題を思い出すことも多いが、何もしなければ何年も無関心のままに戻りかねないような気がする。

思いつきのまま、今年になってはじめて名護市にふるさと納税をした。GWの沖縄そばを我が家の恒例行事にしてはどうか。基地に関心を持ち続けることから始められないか。ささやかでも継続的に感謝の気持ちを示せないか。

ハンガーストライキまでする人もいるのに、かたや沖縄そばを啜るだけというのはヌルすぎるのかもしれないが、無関心で居続けるよりはマシだと思いたい。

「宝島」は22万部、「海をあげる」は5万部発行されたそうだ。本を読んで胸にトゲが刺さっているのは、日本人のうち多くても0.3%程度という計算になる。そうでなくとも関心を持っている人はどれくらいいるのだろう。

基地不要とはいえない申し訳なさは死ぬまで残る。
せめて感謝と関心を広げられないか。

毎年5月には沖縄そば一つ、どうだろう。

〈参考文献〉

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