言葉にできないコトを言葉にするということ
関東/四年制大学文系/国内・国際ライツ(海外出版)志望
スポーツも勉強も不得意で、みんなの中心にいるような子供じゃなかった。記憶の中の自分は、いつも雑誌の物語を読んでいた。最初の誕生日プレゼントはノートとクレヨンで、将来の夢は「ほんやさん」だった。恋の相手はいつも漫画のキャラで、日記の内容は小説の感想ばかりだった。12歳、住み慣れた環境から離れ、海外に転校した。全く新しい環境に身を置いた私は、気づけば自分以外の登場人物がいない日々を送っていた。逃げるようにのめり込んだ物語たちが私を支えた。だから、「物語」の一番近いところで生きていく。私は小6でそう決意した。
その夢を追いかけ、進路を選び、私は当然のように講談社を志した。
それなのに、「夢」を問われた時、10年以上抱いてきたはずの思いが、何度も真っ白になった。
言葉にすると、火傷しそうなくらいの熱いコト。言葉にしてしまうと、なんだか薄っぺらくなってしまうコト。言葉にうまくできなかったら、夢を諦めるしかない。それくらい、大事なコト。講談社に向き合った時初めて、はっきりとわかった。本気で思う、本当のコトは、言葉にはできない。
言葉にするということは、自分に何度も問い掛け、何度も自分の中で答えを探すことだと思う。就活は私にとって、まさに今の自分と過去の自分との長い答え合わせのようなものだった。
苦しかったけれど、逃げなかった。嘘はつかない。言葉にできないものから目を背けず、言葉にできたものを必死に語ろう。拙い言葉をつないで、乱れた脈動で自分を奮い立たせる。
「私は、私のように寂しさを抱える誰かに、私を救ってくれた物語たちを届けたいです」
「私」が3回も出てくる、変でわかりにくい、ぼんやりとした言葉だ。そんな言葉たちを、私は面接で何度も語った。
うまく伝わらない気がしたけれど、講談社の広い面接室に座る面接官たちはにっこりしていた。
言葉にできない、私の持つ熱いナニカを受け取ってもらえた気がした。