そっと、揺れる
関東/四年制大学文系/編集(子ども・教育)志望
三次面接で宝物は何かを問われ「今までのご縁です」と答えました。私がこの文章を書いているのも、「ご縁」とも言える何かによるものだと強く感じています。でも、そのご縁とやらは、一体何なのでしょうか。
教員を志して大学に入った私は、3年の冬まで進路は学校教員しか考えていませんでした。ただ、私が理想としている教員像、知ったことを使って考えるという過程づくりに携わる人は、学校以外にもいます。
教職への尊敬は変わりませんが、他の関わり方にもご縁があるならば、と、ふらっと履歴書を書き始めました。
勢いで就活なるものを始めた私は、書けることは書いたものの大きなエピソードもなく自分でも論理性が見いだせないESと、確かに存在はするがまだ言語化されてもいない仕事への思い、というだけの荷物をもって講談社に応募しました。
多分それらの荷物に入っているものの多くは「自己紹介をしてください」と言われても確実に出てこないだろう些末な要素ですが、教育が専門とか、身長がこのくらいとか、眼鏡人生20年弱とか、そういうわかりやすい特徴の隙間をそっと埋めて、「自分」を「自分」たらしめるものなのだと思います。
だから、その頼りなさに不安は覚えても、そのとき不思議と後悔はしなかったのです。
でも、そんな細かいことが本当に自分らしさなのか。というか「自分らしい」って? そもそも、自分って教員にならなくていいんだっけ。
全てに迷い、軸が揺らぎ続ける中での選考。しかし面接官たちは、長々と吐き出される一貫性のないよもやま話も、「自分らしさ」として面白がってくれました。
自分は、変わらない。相手も、変わらない。でも、自分がふっと揺れる瞬間に、たまたま交わる。それが、「ご縁」なのかもしれません。
半年前には予想だにしなかった進路は、一見自分らしくないようですが、未だ揺らぎ続ける自分のどこかに、このご縁をつなげられるものがあると信じることにします。