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図画工作のオンライン授業がやりたくてしょうがいないけどやれない

図画工作!嘘いつわりのない本当の図画工作の授業をしたい。
話が長いので結論として先に「嘘いつわり」についてお話しします。
世の中では子供の絵に賞を与えたり、与えなかったりという区別が行われます。
それが偽りです。
その区別に何らかの「才能」を示す根拠や意味は全くありません。私はこれを天才育成計画で全て解き明かし、証明していきます。

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人の描いた作品、ましてや子供の描いた絵は全て素晴らしい作品です。
私は賞を取らなかった作品を徹底的に評価したいと思います。
賞を取れなかった子にレッテルを貼り、傷つけ、興味関心を奪ったその罪は重罪です。私にとっては悪。悪は遠慮なく、コテンパンにやっつけます。

子供はみんな無限の潜在能力を秘めています。
同時に図画工作の世界はもっと可能性のあるものです。
日本は漫画大国です。でも日本はもっともっと桁外れに大きな漫画大国やアート大国になる潜在能力を秘めています。私の目標はそれに向けていろんなボタンの掛け違いを掛け治すことです。

「アートの世界は才能のあるほんの一握りの子供しか目指せないのでそれを選ばなければならない」というコンクールには偽りの建前があります。ですが、選び出された子供のその選び出され方と選び出された子供の全てがデタラメです。つまり、将来、この道に入ってきたとして選び出された子供とそうでない子供で部分的な小さな差がある場合があれど致命的な人生を左右するような差があったことはただの一度もありません。生徒の人生を左右するような適性の見極め、例えば学習を困難にさせる要因、発達障害や心療内科にかかっている心身症気質はあるかなどはあります。しかし、ましてや幼児期にそのような判断は不可能です。
子供のコンクールでは偶然に作品の様相に差異が生じて、その差異を見つけて、この時期よく生じる差にあれこれ意味のあるような偽りの話をしているだけで、本当は差がないのです。つまり、誤った選出で、アートの道を目指そうとするかもしれない子供を、悪戯に、愚かにも極端に減らしているに過ぎません。

犠牲を作り、希少価値を演出し、子供の悲壮感あふれる顔を冷酷に無視し残忍にも間引くことには、虚構という「神話」を作り出す役割があります。
実はこの神話がなければ多くの幼稚園や小学校の段階で絵を目指す子供がいなくなります。それでは困るのでわかりやすい勝敗をつけて、勝者の気持ちを高揚させて勧誘しているのです。ここにアート全体を支える構図があります。
そうです。アート界の全ては嘘から始まっているのです。
これからの世の中にはこんなふざけたやり方はいらない。
私はこの愚かな慣習を駆逐したいのです。

私は図画工作をやりたい。やらなければならない。
いつも頭にある未だ実現していない不可避の問題です。
私が運営している美術予備校では、受験生には難なくオンライン授業を開始し展開しています。
それが、図画工作となると行き詰まるのです。
活路は見出せるような気がする。
活路を見つけ出すために、今回のこのお話は走り書きます。

まず、最初に皆さんに知っておいて欲しいことがあります。
それは美術評論家の中での常識「アーティストは嘘をつく」です。
この「アーティストは嘘をつく」は私自身これまでアートの世界を見てきて紛れもない真実で、残念ながら本当のことです。その為アーティストが嘘をつくことを前提に物事を考え、動かしていかなければなりません。
いうまでもなくこのアーティストの嘘の始まりは幼児期の様相にあります。
嘘に始まり、嘘の上塗りになる。
この嘘の連鎖を抜けるためには相当な経験や困難を要します。
本当にアーティストを育てたいなら、このような余計な虚構は取り払うべきです。

アーティストには作品のコンセプトを語らなければならないという試練があります。私個人の経験ではこの作品のコンセプトは長い人生経験を積んでやっと見極められるものです。そうでなければたまたま学生の前にムーブメントが起こりチャンスが転がり込むのに期待するほかありません。
経験がなければ見えるわけのないその問いを社会は、学生に、はたまた子供の作品にぶつけます。「天才」「才能」という具体性のない声かけのキャンペーンがそれです。

皆さんにわかりやすく「アーティストが嘘をつく現場」を想像して頂くには、学生や子供達のコンセプトについて想像してみていただければわかりやすいかと思います。

さて、この嘘ですが、大人の都合という、バイアスがかかります。
それは、「作品をお金にしなければ画廊が運営できない」ということだったり、「誰かに受賞させなければ団体が運営できない」という事情だったり・・。

お金や受賞が考え方とその判断に特定の偏りをもたらし、結果的に出てきた答えとなる認識にはかなり強い歪みが生まれます。
コンクールではどれかに賞を与えなければなりません。本当に素晴らしい賞がなくとも、儀礼的にどれかに賞を与えます。このようなくだらない事情によって、こんな様相を見るし、そんな様相しか見る機会がないので、本当の真価が鑑賞者にわからなくなります。そして審査している者と出品者も誰もわからなくなってしまう。嘘はここから始まり、無限にループし、拡散します。

ループ、拡散によって嘘が常識となるのです。
残念ながらそれがアートの世界。
嘘は「天才」「才能」という言葉が具体的なコンセプトや証明を避け、嘘がコンクールや学校の価値を担保します。そこに割って入り価値を論述で肩代わりさせられるのが評論家です。

私個人は評論家と仲良くしていません。ただ、具体的に誰とは言いませんが、作品を1億で売り、売った作品にカッコいい評価を、売れていない評論家に数万かせいぜい20万程度の金を払って書かせれば、生活のために喜んで書く者はいます。コンクールには多いですね。美術館も運営していかなければなりません。テレビはひどいもんです。

本来、子供や学生の中に本当にアートの世界でコンセプトを評価できる、つまり、「天才」「才能」と称するに値する、歴史上類を見ないコンセプトであるという評価は子供には完全にできませんし、学生でもそうあることではありません。それでも子供や学生にいろんな所でわんさか描かせるために褒賞を考える。描かせる所を盛り上げる方法は賞を与えること。そこで余計な賞を与えるのが諸悪の根源です。

絵は本来普遍的に、日常的に絵は本当に素晴らしいものです。絵は本来、日常と綺麗に馴染む力を持っています。愚かな日本では日本人でそのような感性や認識を持ちうる人が少ない。絵を否定したり、拒絶します。あなたは自宅に絵を飾ることはありますか?

絵は本来、賞やお金のために、ましてやアートのために描くのではない。
感性や想像力を養うために描くのです。感性と想像力を日本人から喪失させているのは子供のコンクールです。賞を取らなかった子は間引かれ、賞をとった子は賞をとった作品しか見ない。この時に認識が構造的に壊れています。絵は金と名誉のためにあると曲がった認識になってしまう。子供の目は穏やかな感性豊かな目ではありません。ギラギラと射幸心に満ちた目になります。もはや色や形を堪能する気などなく、興味はない。

絵の世界で組織を作る人間は盛り上げるために褒賞を与えてしまいます。結果的に実態のない賞や金額や評論で祭り上げた虚構になってしまいます。子供や学生の描いた作品は全て素晴らしいものです。賞や金に変えるものではない。受賞しなかった作品は誰も目もくれません。高額な値段がついていない作品に誰も目もくれません。これは嘘によってみんな病んでしまっていると私は思っています。どんな作品を見ても鑑賞できる。そんな心や目を育てたいのです。

一方で本当の「天才」を育てたい。と私は本気で考えています。その指導をオンラインでしたい。歴史上類を見ないコンセプトは、美術=技術の歴史の中で発展してきました。日本では馴染みの薄い概念(コンセプト)ですが美術は本来、技術という意味です。情報を伝達する手段として絵を描き、写真の印画紙が発明されたと同時に現場の状況を映して残す技術は写真にとって変わりました。その後も、アート、つまり美術の世界は革新的であろうとします。つまり、既存の技術は本来誰にでもできることだからです。そして誰にでもできる技術を使って作られた作品のコンセプトは表現している事象に左右されます。つまり、その人の経験が物を言うのです。それにその作品はおそらく絵画である必要はありません。

そのような中で絵画でしかなし得ない絵画の技術というものはあります。
それを編み出したものが本来、作品が高額で売れたり、賞をもらう作品です。

それらがない状況で、盛り上げるために、コンクールやオークションは行われます。盛り上げるために「才能」を賞賛して、実態がなくとも「天才」と称されます。そのような光景を垣間見ながら世間の冷たい目は離れに離れて今は崖っぷちまできています。

そのような状況の中、私は本当の「天才」を育てるために図画工作の授業をオンラインでやりたいのです。
でも、これが今、行き詰まっている。
世の中の皆さんと考え方が違うので生徒が集まらない。
そこを変えていくためにはキャンペーンが必要です。
これもキャンペーンのひとつ。

生徒の募集は随時行っています。
本当に美術=技術を学びたいなら、コンクールに出品しない。というルールが必要です。こんなことを書けば多くの親御さんやお子さんに嫌われます。
せっかく才能があると思っているのに水を差される。

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私のコンセプトは才能があると思っている人が全員美術の道に進もうとして本格的に美術予備校に通い始めた時に真実を知り、挫折する状況を変えることです。

アートの世界で行われていることは「技術」です。
つまり訓練しなければ金にも賞にも学歴にも仕事にもならない。
その真実が認識されなければ、子供に本当の技術を導入することができません。

オンライン授業で図画工作をやりたい。
でもそのために私は「嘘」を超えなければならないのです。


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