【日本酒の歴史】八塩折の酒は日本酒ではない?
これから話すことは、日本酒ファンにはあまり響かない内容かもしれないですね。嗜好品として楽しむだけではいよいよ難しい話になってきます。
日本酒と日本の神話との関係についてですね。
まぁ日本酒好きで神話学好きという人もかなり珍しいかなとは存じます。御神酒などの存在から、お供え物としてなんとはなしに関係があるかなと思う人はいるかもしれません。他に思いつきやすいのは松尾大社や三輪山など酒の神様が祀られている場所があることぐらいでしょうか。それぐらい知っていれば一般教養として充分かもしれません。
ですが、それで終わりとするならこれ以上は書きませんもんね。日本酒と神話の関係は、知れば知るほど沼に嵌っていきます。その一端として、色々語っていきたく存じます。
その前にまず、日本酒であるものとそうでないものを分けて考えねばなりません。
日本酒、即ち清酒の定義ですが、国税庁の酒税法によれば以下のように定められています。
はい。まず大前提として、米が原料である必要があります。あとはせいぜい添加物として少量の醸造アルコールと糖類、酸味料。表示義務の無いものでも酵素剤や活性炭、醸造用の乳酸や酵母などですかね。
細かい添加物の話はここで書くには余白が少なすぎるので省くとして、日本酒に必要なものと言うのはずいぶん限られているのです。ただ、プリミティブな日本酒の型を考えるのであるならば「米を主原料にして醸造したアルコール」というのが日本酒の本来のあり方です。
ですが、今の日本酒になるに至るまで、様々なかたちの変遷を経ていたことは想像できます。そして、日本酒の起源ということで、ちょっと分けて考える必要のある話があると存じます。
その話が、スサノオの八岐大蛇退治にて登場した八塩折の酒です。
記紀神話ではあまりにも有名な場面ではありますが、一応簡単に概要を書いておきましょう。
スサノオという神様がいました。ざっくりと言えば空高くにある高天原で乱暴狼藉を働いたため地上へ追放された神様です。ある時、スサノオは地上で老夫婦が泣いているのを見かけました。八岐大蛇によって娘が食べられてしまうというのです。スサノオは老夫婦に、娘を娶らせてくれたら退治すると言い放ち、八岐大蛇を退治します。そして、尾からなんかすごい剣(草薙剣や天叢雲剣など言い方は様々)が出てきましたので、高天原に献上したという話です。日本神話のなかではあまりにも有名な場面でしょう。
この際、スサノオが八岐大蛇を退治する方法ですが、八塩折の酒という酒を醸して八岐大蛇に飲ませ、酔わせたところで首を刎ねたとされます。
ところが、この八塩折の酒、日本酒の祖先と言うにはあまりに説明が無さすぎるのです。
『日本書紀』によれば八塩折の酒は「八醞酒」と書きます。これは「8回搾った酒」という意味になりますね。その酒を造る際に「汝、衆(あまた)の菓(このみ)を以ちて酒八甕(さけやはち)を釀(か)むべし(汝可以衆菓釀酒八甕)」という記述がありますが、毒酒であること、木の実を色々用いたということ、醸した酒≒醸造酒であること、大蛇を酔わせる力があること、8回搾って8つの甕に入れたことぐらいしか情報が無いのです。
8回搾るというのを、酒を酒で醸造させることを8回行う(あるいは「八」は「多くの」という意味があるので数えきれない回数を行ったか?)という解釈で、今の貴醸酒のモデルとする見方もありますが、これも憶測の域を出ないでしょう。
また、「衆の菓」、つまり「数多の木の実」とあることから少なくとも稲“だけ”を用いたものでは無いでしょう。この段階で日本酒とはだいぶかけ離れています。
縄文時代あたりから作られた山ぶどうやガマズミ、ニワトコあたりを用いた果実酒だったかもしれません。東洋のホップといわれる唐花草を用いたビールみたいなものかもしれません。あるいは野生麹を用いた毒酒だったかもしれません。稲霊に付着していた麦角菌を用いたものかもしれません。麦角菌が付着している酒となると幻覚作用もあるから大蛇に効くでしょうし、その似た事例としてホメロスの叙事詩『オデュッセイア』で魔女キルケーが作ったとされるキュケオーンを想起することもできます。想像するならいくらでも勝手ですが。
また、エジプト神話ではセクメトという女神が暴れ回っていた際、太陽神ラーは7,000杯ものビールでナイル川を満たして酔わせたという話もあります。同じく日本でも酒呑童子を退治する際、朝廷から派遣された源氏の総大将である源頼光は八幡大菩薩から授かったという神便鬼毒酒という毒酒を用いて酒呑童子の力を封じたといいます。怪物を酔わす酒なら何でも良かったのでしょう。酒で酔わすというのは怪物を退治するためのテンプレート的なものでもあるかもしれません。
少なくとも言えることは、八塩折の酒は日本酒とはかけ離れた何かの酒だということです。縄文時代から稲作はなされていたとされていますし、大気津比売の一件で五穀そのものは存在したかとは思いますけれども、雑穀だけでは無い何かが含まれていたことは想像に難くありません。縄文時代と弥生時代の酒の話をすると長くなるのでここまでにしておきましょうか
うーん……意外と酒って自由なのでは?
きっとそんなに考えなくてもいいものだったはずなんです。
というわけで写真はぷくぷく醸造のホップサケ ネルソンソーヴィン。
https://x.com/kodaimai2/status/1576909283555708928?t=lQ3a9_K7_bQWLg7eBfdYuw&s=19
クラフトサケのメーカーであるhaccobaさんと協力して造られたもので、花酛と呼ばれる製法を現代風にアレンジしたものです。ホップによる爽やかな苦味と酸味がクセになる1本です。
また、ファントムブルワリーという概念自体が、どこからともなくやって来たマレビト的存在が酒を造るという意味でもスサノオを思わせるものです。
もしかしたら、造り手も材料も関係なく色々なものが自由にまぜこぜになったのが八塩折の酒であるのだとしたら、こういう酒がもしかしたら最も八塩折の酒に近いのかもしれないと思っています。
引用・参考文献
新潟大学日本酒学センター編『日本酒学講義』2022
吉田元『ものと人間の文化史 172・酒』2015
朱鷺田祐介『酒の伝説』2012
国立国会図書館デジタルコレクション『日本書紀 巻1 神代上』慶長4年(1599)刊)https://dl.ndl.go.jp/pid/1286872/1/43