まず行動しよう


【身の上話し】

2019年お盆に実家へ帰り、例年のように寺院の手伝いをしていた。
そんな時に小さい頃からの顔なじみの檀家さんに

「将来、寺は継ぐのか?」

との直球質問に答えられず、ごまかすように

「いつかは継ぎたいと思っているが、今後寺院で生活できる時代でもないし今のサラリーマンでもそこそこの成果を残しているし両立してみたい」

と自分でも思ってもいないことを発言していた。

自分ではわかっていた。

このままサラリーマンを続けながら寺院運営をすることが無理ということと、ただ単純に修行から逃げているということが。

でもそれを、だれにも相談できない&だれも答えなど教えてくれやしない

という思いからその問題に向き合わずに社会人3年が経過していた。

自分でその発言に補足するように
「僕と同じことで困る人は今後いると思うんですよね」
と苦し紛れに付け加えた。

そこでポンとその檀家さんから「じゃあお前がその問題を解決する人になれば良いじゃないか。そしたら寺院収入だけでなく自分で生活できる+同じ思いで困っている人を救うことが出来る」と言われ、すとーーんと腹に落ちた。

もしかしたら京セラ 創業者 稲盛和夫さんが言う自分の天命はこれだと後に感じるシーンであった。

それが2019年8月の出来事である。

いままで平日は仕事。土日は怠惰に過ごすという日常から少し変わり始める。

【どのように変化したか】
いわゆる自分で困っていることを解決しよう=起業
だと思い、スタートアップ系の本を読み始めることとした。

しかし、自分の中でなにをしたいかも明確に定まってもいないのにそのような本を読んだところでなにも変わらないのであった。

そのまま年末を迎え、漠然と「寺院の後継者問題の解決」という課題であることを自覚し漠然を人に話せるようにはなった。

ただあまりにも遠い存在である起業という言葉が重くのしかかり、何かを行動していなければ停滞している恐怖から読書に没頭することとなる。

1つ大きな起点となったのはyoutubeにて中田敦彦氏の「7つの習慣」の更新の際に自分でも読んでみようと思い、読書を開始。

それが2020年1月26日。

どの項目も自分に足りていない事柄ばかりで、自分のいままでの人生を自戒するには強烈すぎる内容であった(具体例は割愛)

そして読了が2020年3月11日。

「7つの習慣」のおかげでまず小手先の起業ということに囚われるのではなくまず自己を律しようと心がけることとなる。

【その後の読書】

なにか進んでいないことへの恐怖心と本質的に人としてどうあるべきかを学ぶために読書を続けることとなる。

「ビジョナリーカンパニー1」「ビジョナリーカンパニー2」「論語と算盤」「武士道」「生き方」「京セラフィロソフィー」「稲盛和夫の実学」と次々読み漁り、2020年4月17日となる。

特に「生き方」には感銘を受け、四六時中自分が成し遂げたいことをとりあえず思考続ける生活が始まる。

不思議なもの本気で思えば思うほど起業の始め方の本を読んでいる時に比べたら中身のある思考に変化している気がする。

この読書月間の最中の3月のお彼岸に例の檀家さんと正月ぶりに会い「どこまで進んだか?」と聞かれ行動はしていなく今は勉強中と答える。

その場で行動しなくてはなにも変わらないと最もなことを指摘され、勉強のタームから行動のタームに移行しなくてはならないと思う。確かに8月にきっかけとなる契機に恵まれ、12月に「後継者問題が課題」と言葉にして発言して3月に話す内容は12月時点で同じことであった。

そして4月27日に自己を律する勉強の期間はひとまず区切りをつけ自分が成し遂げたいことへ本気で向き合う期間に入る。

そしてここで書き記す必要があるのがこの自分の考えを形にするために一緒に行動している人間がもう1人いるということである。

ここまで一人で考え悩んでいるように記したが現在、勤務している会社の1つ上の先輩に私が考えていることを話し続け、一緒に悩み、考え行動を共にしていただいているメンバーがいる。大切なチームメンバーであるため今後も登場するのは必然であるため、ここで詳細を記すのは割愛させていただくこととする。1つ言えるのは私と正反対の人間でありながら、目指している目的地は同じであるということだ。

長々と書き記してしまったが

このnoteは原則、毎日更新したいと考えている。これは、誰かのために書いているものではなく、あくまで自分たちのために書いているものになります。

なぜなら、毎日アウトプットすることで少しずつでも前に進むことが出来る+近い将来私たちがどのような軌跡を歩んできたか振り返られるようにするためである。

そのためにこのタイトルとさせていただきました。第1歩。



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