『この音』(オトナの恋愛ラジオドラマ・イシダカクテル_2022年5月17日オンエア分ラジオドラマ原稿)
♪「プシュ」っという缶ビールの開ける音。
僕はこの音が好きだ。
この音を聴きたくて毎日生きていると言っても過言ではない。
♪また「プシュ」っという音。
それは言い過ぎたかもしれない。そして一本目を早く飲み過ぎたかもしれない。
仕方がない。恐ろしいくらいに喉が渇いていたのだ。
♪肉がジューっと焼けるような音。
この音もまたいい。
女「はい、砂ずり焼いたよ。レモン絞って」
いま死んでもいい。
いやそれは言い過ぎだった。
せめて食べてから死ぬべきだ。
いや、これからさき何回もこれをあじわいたいから生きておくべきだ。
女「なにブツブツひとりごと言ってんの?」
どうやら僕の心の声は漏れてしまっていたようだった。
♪「トントントントン」とまな板で包丁がなっている。
彼女がまた何か始めたようだった。
僕はしばし、テーブルに飾られた淡いピンクのバラの花を見る。
花屋でいつでも手に入るバラの花が、
5月に美しく咲き誇る花だと知ったのは最近のことだ。
女「はい、どうぞ~」
目の前にやってきたのはゴマサバだ。
僕は花よりゴマサバだ。
♪「ジュ~」という餃子の水を入れた時の焼ける音。
僕がゴマサバを食べ始めた途端、また彼女はフライパンで何かを焼き始めた。
何かが焼けるいい香りが部屋を包む。
どうやら彼女は換気扇を回し忘れているのだろう。
僕はふと、窓を開け放して網戸にしたベランダに目を向ける。
カーテンを静かに揺らしながら、5月の風が入ってきた。
♪「プシュ」という缶ビールを開ける音。
今のは彼女がキッチンで鳴らした音だ。
男「明日の予定は?」
女「とりあえずダンボールを片付ける」
キッチンの向こうから彼女がそう答えた。
僕は部屋にびっしり置かれた段ボールの山を見ながら、またビールを飲んだ。
男「そうだね」
椅子とテーブルとバラとカーテン。
包丁とまな板は取り出したけど、それ以外はまだほとんど段ボールの中だ。
男「やれやれ」
今日から暮らし始めるこの部屋で、
僕らはあと何回この音を慣らすだろう。
♪「プシュ」といい音が鳴る。
おしまい。
※こちらの小説は2022年5月17日放送(21:00~21:30)
LOVE FM こちヨロ(こちらヨーロッパ企画福岡支部)でラジオドラマとしてオンエア
感想は #こちヨロ で
挿絵・作:Gota Ishida
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