始めます: 日の下、草の香(仮)
いつか、ちゃんと書いてみたいと思っていたこと。
ある日、ひょんなきっかけで興味を持ち、自分なりのやり方でのめり込み、何かしら不思議な縁さえ感じてしまっている事柄。
もっとちゃんと知識を蓄えて、色々と確かなことを身に着けて、自信をもって世界観を構築したい、それを基にして説得力のある形で書きたい、そう思っていました。
でも、どうやら、そんな条件をクリアすることは不可能みたいだと、気がついた今日この頃。
半可通の素人だけれど、自分の興味と思い入れと想像力しか、よりどころがないけれど、でも、始めるなら今しかない、のかも知れません。
もうかれこれ三十年ほど前、……と書いてみて、その数字に恐れおののくのですが(笑)、ふとしたことからある歴史上の人物に興味を惹かれました。
その人の名は、若日下王、またの名を、波多毘能若郎女(はたびのわきいらつめ)、またの名を長日比賣命(ながひひめのみこと)、若日下部命(わかくさかべのみこと)。
これらは古事記に記された名で、日本書紀にはまた微妙に異なる名が、異なる漢字表記で記されています。
5世紀、古墳時代と言われる頃に生きていた人で、雄略天皇の正妃であったとされていますが、詳しいことはわかりません。
この人にまつわる物語を知ったときは、きっと研究者の方々が詳しい史実をあれこれ解き明かしておられるに違いない!と無邪気に思ったのでしたが、まったくそうではありませんでした。
夫である雄略天皇にしてからが、大和勢力の権勢拡大の立役者、古代王朝の礎を築いた大功労者、英雄的人物と認められながらも、関東地方の古墳から出土した一本の太刀の銘文によって、ようやく実在性の高さを裏付けられるかという、遠い遠い時の彼方の人物なのです。
それなのに…、なぜでしょう。
わずかばかりの、影の藻屑のような手がかりを追う素人探偵のごとき私の脳裏には、いつしか、複雑な背景を持ち、波乱に満ちた時代の抗争の只中に巻き込まれ、思いがけない運命を引き受けて生きることになった女性の姿が、浮かび上がってきてしまったのです。
……これらは、すべて、半可通の歴史オタクの妄想の産物なのかもしれません。
でも、それでもいいかもしれません。
誰も確かなことを知らない時代の、本当ではないであろう物語…。
もしかしたら、本当のかけらぐらいは引き当てているかもしれないけれど、誰もそれを証明することなどできない物語。
始めてみます。
自分なりに、少しずつ、勉強しながら。
もしも、お目にとめて下さった方の中に、何か詳しい知識をお持ちの方がいらしたなら、ぜひともご指摘、ご教授いただけたら、嬉しいです。
ゆるゆるとやろうと思います。
よろしくお願いいたします。
さあ、スタート!