神護寺 空海と真言密教のはじまり:1/東京国立博物館
真言宗の古刹・神護寺の創建1200年を記念する展覧会である。
京都の市街地から北へ離れた山中にあり、一般的な観光コースには組み込まれづらい神護寺。京都めぐりが4〜5回めを数える頃、近隣の高山寺とセットにしてようやく訪ねるようなイメージの山寺だ。
教科書でよく知られた日本絵画の名作《伝源頼朝像》(はじめ「神護寺三像」)の所蔵先として、その名を記憶されている方も多かろうと思う。
本展では「神護寺三像」を含む国宝17件が出陳されるが、今月はじめにうかがった筆者は「神護寺三像」を拝見できなかった。前期展示のみで、京都に帰ってしまったのだ。
熟慮の末、後期展示一本に絞ったのは、「神護寺三像」は展示頻度が多く、これまで何度も拝見しており、入れ替わりで登場する「赤釈迦」こと《釈迦如来像》(平安時代・12世紀 神護寺 国宝)と《山水屛風》(鎌倉時代・13世紀 神護寺 国宝)のコンボのほうに、より魅力を感じたため。観覧料がばかにならず、前後期両方というわけにもいかない……
それでもちょっぴり後悔したのは、展示の冒頭で狩野秀頼《観楓図屏風》(室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館 国宝)を鑑賞できなかったこと。
神護寺のある高雄は、紅葉狩りの名所として知られている。その情景をまさに示し、神護寺の伽藍が描きこまれてもいる本作が本展に出ると知ったときには、なるほどたしかにいい趣向だなと思ったものだ。神護寺所蔵の名宝だけではなく、東博を含めた他の所蔵先の神護寺にまつわる資料を活用して展示を組んでゆくのだなという期待も湧いてきた。
後期展示では、入ってすぐの幅広の壁付ケースが空っぽになっており、照明がオフに。ここには前期まで《観楓図》が展示されていたのだ。数年前に制作した高精細レプリカを、代わりに置いておけばいいのに……まぁ、いろいろ事情があるのだろう。
気をとりなおして、お大師様の像に向き合う。神護寺は、空海の寺である。
源流は、和気氏ゆかりの高雄山寺と神願寺。天長元年(824年)、この2つの寺が統合、唐より帰朝したばかりの空海が経営を任され、真言密教の最初の拠点となった。本展が記念する「創建1200年」は、この年を起点としている。ここまでが第1章の第1節「草創期の神護寺」。
第2節「院政期の神護寺」では、荒れるに任せていた神護寺を再興した傑僧・文覚にスポットを当てていく。再興の背景には、後白河法皇や源頼朝からの手厚い庇護、荘園の寄進があった。
こういった歴史的な経緯を、具体的な根拠となる一次資料や作品を駆使して、展示全体の半分の分量を割いて紹介していく。
第1節では、空海が唐より請来した《金銅密教法具》の一式(中国・唐時代 8~9世紀 教王護国寺 国宝)、入唐の成果を記録した最澄《御請来目録》(平安時代・9世紀 教王護国寺 国宝)などが並ぶ。さらに空海《風信帖》(平安時代・9世紀 教王護国寺 国宝)のかたわらには、最澄の《久隔帖》(平安時代・弘仁4年〈813〉 奈良国立博物館 国宝)が。高雄山寺は、若き空海と最澄が交錯する舞台でもある。同じケースには、空海直筆の書が何点も。
この他の資料を含めて、今春、奈良国立博物館で開催されていた「空海 KŪKAI―密教のルーツとマンダラ世界」とかなり重複する顔ぶれではあった。空海の重要資料を集めようとすると、こうならざるをえないのだろう。
いっぽうで、それゆえに、両館の見せ方の違いが際立つようにも感じられた。
展覧会というのは「モノをして語らしむ」ものであって、語彙は同じでも、順序や組み合わせ、展示間隔や会場レイアウトによって、いかようにも叙述することができるのだ。
空海自身が直接関わったとみられる現存唯一の曼荼羅「高雄曼荼羅」こと《両界曼荼羅》(平安時代・9世紀 神護寺 国宝)は、空海その人にまつわる品々が集められた第1節ではなく、第2節「院政期の神護寺」での登場。
これは少々意外だったが、ストーリーをたどっていけば納得。構成の妙を感じさせた。
空海の没後に神護寺は荒廃し、信仰の根本にあった高雄曼荼羅すら寺外へ持ち出され、有力寺院のあいだを流転していた。神護寺に残る《後白河法皇院宣》(平親宗筆 平安時代・元暦元年〈1184〉 重文)は、後白河法皇が高雄曼荼羅を神護寺へ返還するよう命じた文書。高雄曼荼羅の帰還は、神護寺の再興を象徴的に示す出来事だったのである。
高雄曼荼羅は近年修復が完了し、前述の奈良博・空海展で一般に初披露された。3か月ぶりの再会になる。寸法、およそ4メートル四方。のけぞるように見上げ、単眼鏡を覗いて細かな描写を観察した。
高雄曼荼羅に関しては、多くのスペースが割かれていた。前回の大修理は江戸後期の寛政6年(1794)、光格天皇の命を受けてのこと。
光格天皇は、高校日本史では「尊号一件」くらいでしか名が出てこないが、文化面での功績は非常に大きく、ものの本や展覧会のあちこちに登場する。高雄曼荼羅の修復も、大きな功績のひとつだろう。
本展では修復の際に同時に制作された模本であったり、高雄曼荼羅を収めている巨大な唐櫃が展示されていた。これらは、奈良博には出ていなかった資料だ。
隣の部屋には、高雄曼荼羅の高画質拡大映像を巨大スクリーンで流す補助的なコーナーも。
高雄曼荼羅だけでなく、同じ第2節では、神護寺の再興へ向けて文覚が記した筆跡、後白河法皇とともに文覚を支えた源頼朝による荘園の寄進状なども。《伝源頼朝像》はじめ「神護寺三像」は、後期展示では冷泉為恭(ためちか)による幕末の模本を展示。
余談だが、この為恭も、各方面で登場する。古社寺の所蔵する書画を観まくり、写しまくったという、ある意味で文覚並みのバイタリティを感じさせる人物である。本展では他にも、為恭による模本が多数活用されていた。
——ここまでの内容で、全体のちょうど半分をカバーできたことになる。次回・後編につづく。(つづく)
※すばらしかった、奈良博の空海展。いずれレポートを書きます……
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?