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今こそGUTAI 県美の具体コレクション:2 /兵庫県立美術館

承前

 具体の作品は、アクションペインティングばかりではない。
 このページにあるような吉原治良や元永定正の作例のほうが、アクションペインティングよりもよほど「動き出しそうで」不気味だった。
 アクションペインティングの画面に、われわれのつけ入る隙はない。立ち入りを拒絶された向こう側で、みなぎる力が爆発している。こちら側のわれわれは、観客として、指をくわえてそれを見つめるばかりなのだ。
 前記の作例は「蟻地獄」のようなもので、観る者を画面の奥へと引きこんでいく。
 色の塊が膨張して、垂れてくる錯覚。いまだ「生(なま)」の状態で、変化のきざしをもっていると思わせる。落ち着き払った理知的なところも、また怖さをかきたてる。
 不安だ、危険だ、しかし穏やかだ……どきどきしながら、こちらのような絵にも、長い時間をかけて相対した。

 制作時のパフォーマンスやプロセスを抜きにして語りえない作例も多く、吹き出してしまうようなエピソードやその産物が随所に。顔料つきのミニカーを自動走行させて無作為の線を引く、正方形の白いクッションをドミノのようにずらーっと並べる……などなど。
 田中敦子《作品(ベル)》は、ボタンを押すと、会場のそこかしこに置かれた20個のベルのどれかが「ジリリ!」とけたたましく鳴る、というもの。
 「ご自由に押してください」方式で、このご時世のこと、ベルの隣には使い捨てのビニール手袋が準備されていた。作家のねらいとは別のところで、意図せず現代性を獲得してしまった、ある意味で旬の作品。

 展覧会名の「今こそ」には「こんなに大変な今だからこそ」というメッセージがこめられているそうだ。それは、とてもシンプルに「具体の作品を観ると、元気になるよ!」ということを示している。

今だからこそ、戦後の復興期に立ち上がったグループの持つ、迫力と熱量を感じてください

https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_2012/

 個人の話で恐縮だが、疲労と渇望でふらっふらのまますがるように入館したわたしも、帰る頃にはしゃんとして、いつもの飄々さを取り戻していた。だから、このあたりは実感をもって理解できた。
 この展覧会で過ごした時間はことさらに印象深く、美術鑑賞の愉しみと豊かさを再認識させてくれた。兵庫県美には、恩義めいたものすら感じている。

 館の関係者の方も、ウェブ検索やSNSからたどり着いて読んでくれるかもしれない。書くとしたら、せめて自分なりに満足のいくものを――と、自分自身に圧をかけながら放置して、ほかの展覧会の感想も溜まりに溜まって、はや一年。
 「美術館とお寺」にとっての大いなる宿題。いちおう形にはして、提出までは果たせた。

     *

 エスパス ルイ・ヴィトン大阪で開催中のゲルハルト・リヒター「Abstrakt」に行ってきた。

 このことについて書こうと、話の枕として具体のことを書きはじめたら止まらなくなった。これでは、リヒターの名を冠する記事としては看板に偽りあり……ということで、あえなく改題。
 現在、書きたいテーマが大渋滞中。交通整理が必要だ。
 年末年始にストックを増やせるといいな。


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