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舫(もやい)

今にも降り出しそうな重い空と橋の光を歪んで映す水面 (みなも)、夕暮れ時の第三突堤から見渡す港は珍しく船影(ふなかげ)が疎らで、どこからか穀物の饐(す)えた臭いが漂っていた。

舫 (もやい) を結びつけるビットの上に腰掛けたその人とその背に立った僕は、ただ黙って灯台の光を見つめていた。

波間の静寂に重ならないように気をつけながら僕は乾いた声で言う。
「‪今夜‬、東京へ帰る?」‬‬
「うん。」
「そっか。」
僕の左手はその人の右肩の数センチ上で止まったまま潮風を切るばかりで、体温を感じられそうな距離なのに冷たかった。

そのときついに雨粒がポツリと落ちてきた。僕は左手をコートのポケットに引っ込め、「じゃ、そろそろ街に戻ろう」と、思っていることとは違う言葉を口にしていた。

僕らは何年か前の満開の桜の夜に知り合って、藤の花の香りが漂う中で唇を重ね、赤紫のつつじのように燃え上がり、互いの身体から密を奪い合った。
妬ましいほどに聡明で才能に溢れたその人に僕のあらゆる神経が呼応し、すべての臓器がため息をついた。

しかし学業を終えたばかりの僕らにはそれぞれに成すべき事が山積みであり、しかも距離が離れたところにすでに確立された日常もあり、憧憬と恋慕だけで舫をつなぎ留めておくには僕の度量が小さすぎた。

古き良き時代の手紙のやり取りだけが、僕ら二人の間を薄皮一枚の状態で保つ。募る思いはわずか数言のありふれた挨拶に忍ばせるのが常であったが、ときに向こうから詩歌や歌詞が一篇まるごと送られてくることもあり、手紙を書いているときに窓から入ってきたという桜の花びらが何枚も挟まれてあることもあった。

そういった艶かしくもない生活ぶりを知ればまた胸がせつなくなり手紙を引き出しの奥の方に突っ込むが、気づけば筆を取り、かすかに想いが伝わる程度の文をしたためていた。もちろん神戸と東京を物理的に行き来することもあり、いくどかの夜をともに明かしたこともあった。それでも僕たちは互いに、いずれ実を成さない運命であることを本能的にわかっていたような気がする。

その人と最後に会ったのは神戸だった。湿った暖かい冬の初め。
ギリシア料理店で飲んだウーゾがまだ体中をせわしく巡るのを感じつつ、僕らは街を背に波止場への道をくだっていった。汐の香りが重いほどに充ちた夜だった。

作業をとっくに終えたターレの合間を縫い、手をつなぐわけでもなく、互いを見つめるわけでもない。ただまっすぐにゆっくりと埠頭を歩みながら、抑揚のない調子でその人が言う。

「来年からパリに行く。」
「学業にもどる?」
「それもあるし。
・・・東京にいてもずっと S 君は来ないでしょ。」
「えっ?」
「うそ。言ってみたかっただけ。関係ないよ。」
「そっか。」

その人は埠頭の突端のビットにちょこんと腰掛けてまっすぐ海を見た。僕は街の光を反射してやけに明るい空を見上げた。なにかを口にすると胸が決壊しそうでただ斜め上を向いていた。

目も鼻も軽く湿っているはずなのに、ようやく出た声は乾いていた。

「‪今夜‬、東京へ帰る?」‬‬
「うん。」
「そっか。」

僕はその翌年の春に転職して東京に住むことになった。その人に告げることもなく、その人のいない抜け殻の東京に。

東京の暮らしは息をつく間もないほどで、互いに連絡先も定かでないままにただ十数年の年月が流れていった。

平成7年の真冬、神戸は未曾有の大震災に見舞われた。ちょうど東京から戻りしばらくの間実家に逗留していた時期だった。余震に怯え寒さに震えながら二晩を明かした後、停電は相変わらずなのだが なぜか固定電話回線がごくたまにつながっているのに気づいた。

友人にポケベルのテキストメッセージを送るため受話器を上げようとしたまさにそのとき国際通話のオペレータからの電話が入った。「おつなぎします。」

「S 君!S 君?よかった、よかった、つながった!」
「ええっ、どこから電話をくれてるの?」

でもそこから先は、向こうがことごとく涙声になってしまい何を言っているのかさっぱりわからなかった。

僕は、ひどい状態だけど家もとりあえずは残ったし、怪我もないことを説明して、電話をくれたことに心からの礼を述べた。

ただ、あのような立て込んだ状況であるし、実家にいたこともあったし、国際電話でもあるし、やや儀礼的な話し方になっていたのではないか・・・  

それにしても実家の電話になぜまた・・・
あっ、そうだ!そうか!
連絡するにも僕の実家の電話番号しか知らなかったのだ。

何百回のうちの1回の割合で二人の舫がかすかにつながっていたことに、言いようのない喜びと切なさが、忘れた病がまた襲うかのように僕をまたとらえようとしていた。

会った時間よりも、想い合っていた時間の方が何百倍ほども長い。
それでもその人と心の機微を取り交わした時間は、寄る年波に記憶が薄れるようなことがあっても忘れ去ってしまうことはないだろう。

フェリーターミナルに整備された第3突堤には、二人の舫をつなぎ留めておくためのビットは今はもうなくなってしまった。


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