没後190年 木米:2 /サントリー美術館
(承前)
木米の生業は、やきもの。絵画は、あくまで余技だった。
そして陶工や画家である以前に、木米は生粋の文人であった。文人の営みとして、書を読み、煎茶を喫し、やきものをこしらえ、絵筆を走らせたともいえよう。
陶・画ともに、木米というひとりの人が為したことであり、源を同じくするのならば、その産物には共通する傾向が見出せるのが通常と思われる。
しかしながら、木米の多様な作品を観れば観るほど、そのつかみどころのなさに途方に暮れてしまった。いったい何者なんだ、この男は……
木米の「陶」。
翻案や換骨奪胎のうまさに、まず卓抜したものがあるといえよう。
もとになったさまざまな古陶磁・器物の姿を強く感じさせつつも、単なる「写し」には終わらない。勘どころを押さえた、絶妙な加減に留められている。
たとえば《染付龍濤文提重》(東京国立博物館 重文)。
この形状を「やきものらしからぬ」と思われた方は大正解で、竹などの軟らかな木を材としてつくられてきたフォルムを、あえてやきもので再現してしまっているのだ。
※こちらのページに、本作のもとになったと思われるものと同種の木製の道具がいくつか出てくる。
表面は染付の青で加飾され、大胆なイメージの転換がはかられている。
龍の文様は、中国・明時代の萬歴青花から借用。エッジの立った端部にところどころみられる釉薬の剥離は、明末清初の古染付に特徴的な「虫喰い」を意図的に模したものだ。
やっていることは、まったく「キマイラ」的なものでありながら、それを感じさせない自然な落ち着きをまとっている……それはすなわち、新たな表現を成しえていることを意味しており、並大抵ではない。
——類まれな発想力のみならず、それを具現化するに足る、陶工としてのきわめて高い技量・器用さにも、目をみはるばかりである。
中国陶磁、朝鮮陶磁、日本陶磁のどんな技法も、硬軟を問わず、木米は巧みにこなしてしまうのだ。
そのいっぽうで、いたずらに奇異に走らず、技巧に溺れず、むしろ「ゆとり」や「遊び」といった余裕すらも醸しだしている。
そんな、とても「雄弁」なうつわ——木米のやきものたちから、わたしが受け取った印象は、このようなものだった。(つづく)