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板画家 棟方志功の世界:3 /西武池袋本店

承前

 板画の作品がおおむね年代順に紹介されたのちも、展示はなお続いた。
  「倭画(やまとが)」と称される鮮やかな肉筆画、油彩画、そして書の、一品制作の作品群である。

 倭画の作品にはサイズの大きなものが多かったが、いかな大画面においても、余白など端(はな)っから考慮のうちにはなく、志功の筆は縦横無尽に暴れまわる。大爆発する色彩に、圧倒されっぱなしであった。

三つ折りパンフの中面。中央の3点が倭画。寸法にご注目。油彩と書は左に1点ずつ

 ※プレスリリースには、上とは別の作品が倭画、油彩画、書それぞれ1点ずつ紹介されている。6枚めの大首美人画《棟蔭寶韻妃図》が倭画。


 油彩は、ゴッホたることを目指した最初期の作と、余技や気晴らしとして描かれたその後の作の両方が出品。
 技法を油彩に切り替えても志功らしさはあるのだけれど、それが活かされるのは、やはり彫刻刀や日本画の画材だったのだなとも感じた。他の作に比べると、窮屈なものとして映ったのだ。

 その点、書での暴れようは、時に倭画のそれをも凌ぐ。
 複数行の書が数点、あとは一字書や一行書が大半で、後者が格段によい。次行のためのスペースを残しておく必要がないぶん、気兼ねなく書けたのであろうか。
 志功の書は「書く」というより「描く」の字を当てたくなるほど、絵画的。一画一画が、大声で叫んでいるようだ。入魂、渾身のたたずまいに、こっちまでパワーが湧いてくる。

 ——これだけの質と量がそろったことに改めて瞠目するいっぽう、今秋、東京国立近代美術館で開催を控える大回顧展「棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」の会期に合わせれば、さらに話題になったのになぁと、余計なおせっかいの気を起こしてしまう。
 それはともかくとして、観る側としては、秋を前にして早めの予習ができ、たいへん満足だった。上機嫌で会場を後にした。

本展の図録(44ページ)と三つ折りリーフレット。表紙は《二菩薩釈迦十大弟子》の二菩薩


 大回顧展「メイキング・オブ・ムナカタ」は、疎開先だった富山での展示(富山県美術館)を春に終え、夏には故郷・青森の青森県立美術館で開催予定。ゆかりの地の美術館をまわったフィナーレが、今秋の東近美となる。

 この大回顧展への期待も高まったことだし、今年度いっぱいで閉館が決まっている青森市の棟方志功記念館へうかがってみるのも、よさそうな気がしてきた……

 棟方志功記念館は、感染拡大の影響による経営難、施設の老朽化により閉館を余儀なくされた。作品はすべて、青森県立美術館に寄贈される。
 私立館の閉館後、ご当地などの公立館に所蔵品が寄贈される例はじつはめずらしくはなく、コレクションを散逸させないためのよい選択肢と思われるが、地元では存続運動も起こっている。
 生前の志功自身が私費を投じて設立に関わった、この記念館。校倉造を模した建物や庭園は、作品を最適に見せるために考えつくされたものと思われる。閉館は、この空間を失うことでもあるのだ。決定が覆る見込みはほとんどなさそうなものの、存続を望む声が出るのもわかる。
 青森県立美術館は、2006年開館の新しい美術館。いわゆる「ホワイトキューブ」の展示空間である。志功の作品ももちろん所蔵し「棟方志功記念室」を設けている。
 受贈に向けてこの展示室を拡大するとのことだが、現・記念館のあたたかな内装に比べて、この白一色の空間のなんと寒々しいことか……せめて「建物・庭園ごと寄贈」「現地での公開は継続」などとはできないものだろうか。

 こうして見較べていると、やはり記念館のあるうちに現地に観に行っておきたいものだなと思うのである。
 西へ東へ。行きたいところが多すぎて、困ってしまう。 


野生のフランクフルトこと、ガマの穂


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