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東北へのまなざし 1930-1945:2 /東京ステーションギャラリー

承前

 柳宗悦もまた、東北の風土と文化に魅せられたひとり。柳は東北を「民藝の宝庫」と呼んだ。
 柳が同じように思慕を寄せた地として、沖縄、そして朝鮮がある。当時の都会人からみた “周縁” こそが、柳の思想の中枢をなすものであった。
 この展示には、「柳宗悦の心と眼」(韓国文化院ギャラリーMI)からのハシゴでやってきた。図録を確認すると、「1930-1945」の期間に柳は6回も渡鮮している。1920年代に比べるとペースは落ちるものの、多忙ななかでこの回数はじゅうぶんに多い。
 都市を離れ、周縁とされた地域に着目するという点で、柳の行動と本展の他の登場人物たちの行動は符合する。

 柳のパートでは、民藝館所蔵の東北の工藝を展示。
 『手仕事の日本』所収の芹沢銈介の挿絵原画と、描かれた器物の対照。蓑(けら)背中当(ばんどり)などの藁細工、津軽のこぎん刺し。東北の窯場では定番の海鼠釉のやきものに、近代の棟方志功……ちょうど1年前に民藝館で開催されていた「棟方志功と東北の民藝」展を凝縮させたようなラインナップとなっていた。
 なかでも、山形の《羽広(はびろ)鉄瓶》のキレッキレのデザイン性にはやはり目をみはるものがあったし、蓑など藁細工の斬新とも映る文様や色の取り合わせ、そして素人目にもわかる手のかかりようは、いくら観ても飽きないと思った。

 柳パートと地続きのスペースに、大量に居並んだこけし、堤や三春などの土人形があった。これらはそのまま次章との接続部分をなし、導入の役割を果たす。郷土玩具のパートに入るのである。
 柳の民藝と郷土玩具とは、趣味としては近いようにみえるし、まったく同じ世界に属するものだと思われがちだが、このふたつのジャンルはふしぎなくらいに乖離している。愛好者はかぶりそうで、かぶらない。畑が違うのだ。
 民藝館に所蔵されるようなものは、いまも古美術店で取り扱われているけれど、こけしや郷土玩具は対象外。民藝館にあるこけしは、本展にも出ていた無地の「黒こけし」だけ。。柳が「民藝」として許容したこけしは、造形的にすぐれた魅力をもつ「黒こけし」のみだった、ということになる。
 郷土玩具の世界は、早くから民藝、まして美術の世界とは異なる歩みをみせた。コレクター兼アマチュア研究者が全国に散在しており、独自のネットワークとコミュニティを築いたのだ。本展では彼らの蒐集品や仲間内の同人誌などによって、そのありさまを紹介していた。
 こけしも土人形も、東北が本場。彼らもまた、周縁の地・東北に熱く、温かなまなざしを向けたのであった。

 このほかにも本展では、タウトと同じく政府に招聘されたデザイナーのシャルロット・ペリアン、考現学の今和次郎とその弟・純三、洋画家の吉井忠などの東北に関わる仕事について言及。
 とくに今純三『青森県画譜』のイラストや添えられたコメントはゆるく、どこか愛らしさを感じるもの。これを知ることができたのは、収穫であった。


 ――「東北の玄関口」といえば、ずっと上野駅だった。『ああ上野駅』である。
 ところが、東北新幹線が東京駅に接続されて久しい現在となっては、始発駅でより規模の大きい東京駅こそがやはり「東北の玄関口」の名にふさわしいだろう。東北人としては、そんな感覚だ。
 その東京駅の構内にある東京ステーションギャラリーで、「東北へのまなざし」が開かれた。意義深く、感慨も深いものだ。
 寒くない今のうちに、あるいはあえて寒い時季に、すぐそこの改札を通ってそのまま新幹線に飛び乗り「行くぜ、東北。」……などと考えてしまいたくもなる展示であった。


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