柚木沙弥郎さん
うちの子・猫のさとるはいつも、このようにして食事をとったり、水を呑んだりしている。
わが家の日常風景にすっかりとけこんでいる、かまぼこ模様のランチョンマット。デザインは、染色家の柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう)さんだ。
柚木さんの訃報が届いた。
享年、101歳。
直接お目にかかることはついに叶わなかったけれど、柚木さんの作品や語った言葉に、わたしは何度も感化されてきた。
作品集や本を書棚から取り出して、ぱらぱらとめくる。
きょうは、ちょうど3年前の2月に出版された『柚木沙弥郎のことば』(グラフィック社)をカバンに入れて、行き帰りの電車で読みかえすことにした。
この本には、すてきな帯がついている。本文から選びぬかれた、とびっきり印象深い言葉が載せられた帯だ。
すごい、説得力だ。
単にご長寿だからというにとどまらず、柚木さんが染色の枠を越えて絵画・版画に絵本、人形といった仕事にさかんに取り組みはじめたのが70代以降のことであり、90代を半ばに過ぎてもなお、創作を日々楽しんでいる……そういった事実が、この言葉をよりいっそう重いものにしている。
これは本文からの抜粋であり、じつは「前」がある(「後」はない)。
そして、わたしはこの「前」が、とてもすきだ。段落ごと、引用させてもらうとしたい。
いつからでも、なんだって、いい。
自分の尺度で、自分の見方で。しかし、時代や現実には背かずに、いつもわくわくしながら、なにかを生み出しつづける。
わたしには布をきれいに染めあげたり、絵を描いて胸のうちにあるなにかを表現したりはできないけれど、それでも……なにかをつくりたい。初めて読んだとき、強くそう思った。
本ページも「つくる」行為の一環といえようが、柚木さんのこの言葉からの影響を、確実に受けている。
同様のことを、柚木さんは折に触れておっしゃっている。
IDÉE SHOPのホームページに掲載されたインタビューの次の一節に関しても、ぜひみなさまにご紹介したい。
「ものをして語らしむ」——つくり手とはそういった人のことを指し、作品と対峙するにあたって、人とものとのあいだになんらの贅言をも要しないのが本来的な在り方といえよう。
民藝をスタートとし、柳宗悦に敬意をいだきつづけた柚木さんにしても、それは同様に違いないのだろうが、わたしのなかではどうしても、柚木さんの作品と言葉が、からみついて離れない。そしてそれはなんら不快なものではなく、「本来的な在り方」を侵すものでもなく、むしろ快をともなうものとして映る。
すなわち、柚木さんの作品を観るとき、そこにはつくり手その人の「楽しい」が、燦然と漂っているように思われるのだ。
だからこそわたしたちは、柚木さんの作品に魅せられる。また、会いたくなる……幸福なつくり手の幸福を、分けてもらいに行きたくなるのだろう。
——あしたは、竹橋の東京国立近代美術館へ、柚木さんの作品を観に行こうと思っている。
柳とともに、柚木さんが敬愛してやまなかったお師匠さん・芹沢銈介の特集展示が開催中なのだ。
その片隅に、柚木さんの作品が1点だけ出ていると聞く。
おふたりは、天国でも再会を果たせただろうか。
合掌。
※昨年春、日本民藝館の展示レポート。