走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代:1 /菊池寛実記念 智美術館
現代陶芸のパイオニアである作家集団「走泥社」の大回顧展。
八木一夫や鈴木治といった作家個人の回顧展は開かれてきたけれど、走泥社というくくりでは、意外にも初の機会となる。
現代陶芸やオブジェ陶に関しては、
といった印象をいだいている方が、きっと多いのではないだろうか。
はっきりいうと……わたしにも、よくわからない。
同じやきものであっても、機能をもったいわゆる「うつわ」とオブジェ陶とのあいだには、大きな分断があると感じている。
じっさいには「うつわ」の伝統性をベース、あるいはバネにして現代性を獲得している作品は多くあるわけだが、そういった「プロセス」や「作家性」を伝える専門家の言葉は、えてして、難解な語り口になりがち。現代工芸に対してわたしがいだいている「ニガテ」意識は、こういった点によるところが大きい。
本展の会場では言葉の介入自体が抑制され、「ものをして語らしむ」方向性が見受けられたように思う。「込み入った話は、図録でたっぷり……」ということだろうか。ありがたいかぎりである。
それでも、章解説は設けられており、しっかり拝読。本展は全3章からなり、1948年の結成から1973年まで、25年間の走泥社の活動を3分割してみていく。章解説は、そんな展示の流れをつかむための補助線の役割を果たしていた。
戦後まもなく、京都の若手陶芸家たちが立ち上げた走泥社。構成員には、陶を生業としてきた伝統的な「ちゃわん屋」に出自をもつ者が多い。
結成当初にあたる第1章の展示作には、大なり小なり古典からの影響をうかがわせる作が散見され、古美術の人としては親近感が沸いたし、創意工夫や葛藤の跡がみえやすかった。
鈴木治の《ロンド》。五条坂の轆轤職人の家に生まれただけあり、成形の上手さが光る。きれいな紡錘形となっているが、縦に長く胴の膨らんだフォルムからは、中国の「梅瓶(めいぴん)」と呼ばれる器形がまず想起される。
また、白と黒・モノクロームによる胴部の加飾は、中国・北宋時代に磁州窯で生み出された白地黒掻落(かきおとし)の再解釈だと思われる。
磁州窯のやきものは、明治末から大正期に日本へさかんに渡来し、富本憲吉や石黒宗麿など、造形の規範とした先輩作家は多い。八木一夫や山田光の本展出品作にも、同じ傾向のものがみられた。
磁州窯の梅瓶と《ロンド》を比べると、《ロンド》が土見せを広くとり、その土が赤く、長石をたくさん含んでいることがわかる。おそらくは信楽の土で、仁清の一連の茶壺の土見せを髣髴とさせる。仁清もまた京焼の陶工にとって、造形の規範でありつづけた存在だ。
作家がなにを念頭に制作にあたったか……古典の影がみえるほど、オリジナリティの部分がどこにあるか、浮き彫りになってくる。
《ロンド》のフォルムは梅瓶のそれよりさらに縦に細長く、横から押せばかんたんにコロンと倒れてしまいそうなほど、危うい均衡を保っている。その上にイッチンによる白い不定形な線が、爆発的な勢いでぶちまけられる。そのさまは、激しく円舞を繰り返した跡が、ダンスホールの床に残されているかのようだ。
危うい「静」と、情け容赦ない「動」のせめぎ合い。これが、本作をたいへん印象深いものとしていると思われた。
鈴木治は、まもなく「うつわ」を脱してオブジェに取り組みはじめる。なかでも、馬を主題としたシリーズは繰り返し制作され、鈴木の代名詞となった。
大地を踏みしめる、たくましい馬。その存在を極限まで単純化し、それとわかるギリギリのところまで要素を削ぎ落としている。馬の前脚と後脚はむろん2本ずつのはずだが、1本ずつで表されている。それでも、かろうじて馬と認識できるのは、頭を翻し、毛繕いをしているポーズゆえだ。
どっしり肉厚、重量のある焼き締めの土塊。その端を大胆になめらかに彫り下げていくことで、頭から頸部にかけてが表現されている。軽みや飄逸さが、同時にもたらされているともいえよう。
青白磁の名手でもあった鈴木。
《上を向く馬》では、土塊の胴体の上端を捻り上げるようにして、馬が天を仰ぐさまを描写。
たしかに、馬はよくこんなポーズをしているではないか。鈴木は最小限の細工によって、そのさまをいきいきと再現してみせた。
きまじめに脚を4本つくらなくても、のっぺらぼうでも、「生きた馬」を感じさせることは可能なのだ。(つづく)
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