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没後50年 鏑木清方展:6 /東京国立近代美術館
(承前)
築地明石町
清方の美人とは「風情を、人間の姿を借りて具現化したもの」ともいえそうだ。誤解を承知でいえば――着物をまとった「妖精」のような存在……
《築地明石町》《新富町》《浜町河岸》の3部作は、この好例であろう。
描かれる女性たちは、いわば “町の精”。
特定の場所から立ち上がってくるイメージや、その土地に対する作者・清方の思いを、人間の姿に仮託して描写したものである。
※図版はこちらから
落ち着きある妙齢の《築地明石町》の女性は、虚ろな視線で物思いにふけっているようだ。
白いペンキの柵は、外国人居留地の名残。対岸の佃島に係留された帆船の影もみえる。遠い記憶を呼び覚ますなにかが、この町にあったのだろうか。
和傘をさす《新富町》の女性も、妙齢とおぼしい。公式の説明では《築地明石町》が年上というが、どうだろう。
新富町は芝居の町、花街でもあった。関東大震災で焼亡する以前の新富座が、小雨に蒸ってみえている。新富芸者と芝居小屋をもってして、この町の最も華やかなりし頃が表しうる。
《浜町河岸》の小娘は、舞のお稽古帰りに所作をおさらいしている。若者らしく、アクセサリーも多い。
日本舞踊のお家元の屋敷が、この町にはあったのだという。隅田川の向こう岸は深川。橋は新大橋で、黒い櫓は火の見櫓である。どちらも周辺のランドマークであったが、描かれた当時にはすでに失われていた。
明石町、新富町の築地界隈は清方が少年時代を送った地、浜町は明治末の足掛け6年を過ごした地である。絵のなかの女性の服装は、描かれた同時代よりも少し前――清方が、これらの地で暮らした明治期の風俗を反映している。
土地への親しみ・知悉をもとに、非実在の人の姿をもってして、かつての町のありようを描きだした。それが、この3部作なのである。
私のなかにしっかり根を下(おろ)している心のふるさとというのは、物心を覚えてから、明治の三十四、五年までつづいた自分のうちの生活にあるといえよう
心の、またはあたまのなかのふるさとは際(きわ)まるところを知らないほどだが、現実の、土の上のふるさとは、悲しいかな今は探(たず)ぬるによしもない
いまはなき往時をしのぶ哀切な心持ち、ノスタルジー。
3部作にかぎらず、清方の絵に広くみられる、見捨てがたき特色である。(つづく)