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大倉コレクション-信仰の美-:1 /大倉集古館
大倉集古館の日本仏教美術コレクションを一挙公開する本展。
国宝《普賢菩薩騎象像》(平安時代)は大倉コレクション全体を代表する、この館の顔。本展でもやはり主役を張っていた。
象の重厚感と安定感、その背に乗った普賢菩薩の静かな祈り。いつ観ても心穏やかに、身をゆだねたくなるお像である。
中世の仏画に、美作が多かった。
《一字金輪像》(鎌倉時代、重文)は密教の本尊・大日如来を表したもので、手印を除いてきれいな左右対称になっており、截金や彩色は細緻で、総じてたいへん整った作行きの優品。
対称性と静的な魅力は、《普賢菩薩騎象像》にどこか通じると感じた。
いっぽう、国宝《普賢菩薩騎象像》と同じく普賢菩薩の騎象像を描く《普賢十羅刹女像》(鎌倉時代、重美)には、一転して “動き” が感じられる。
“動き” は白象の歩みにしても、いななきにしても、あるいは普賢菩薩の(……おまかせなさい)とでもいいたげな確信に満ちた微笑にしてもいえるのであるが、なんといっても羅刹女たちの描写にこそ現れている。
十二単を着た女性たちは、十人十色のポーズ、豊かな表情をみせている。浮世絵の美人を観ているような錯覚すら覚えた。みな、じつにいきいきとしているのだ。
法華経を護る普賢菩薩は、女性から篤く信仰された。本作の発願者はみずからを普賢菩薩になぞらえ、羅刹女には発願者をとりまいた親しい女性たちを投影した……かもしれない。
特定の誰かを想定したくなるほど、キャラクターの立った人物描写とはいえよう。
これらとは真反対の、拙なる味わいをみせる素朴な作品もいくつかあった。《融通念仏縁起絵巻》(室町時代)や円空仏の《不動明王坐像》などがこれにあたる。
なかでも《空也上人絵伝》(室町時代)のゆるさが、なんともまあよい。名品図録には出ていないが、もっと知られてよい作だと思った。
どこにも画像がないかもしれないと覚悟はしていたものの、取り越し苦労でよかった(下記よりどうぞ)。
仲良しの鹿が射殺されてしまったことを機に剃髪し、その鹿の皮をまとい、角を杖に取りつけて、念仏を唱えながら洛中をねり歩いた……という空也上人の逸話を、掛幅の上から下へ、5つの区画を用いて表した作である。
この掛幅を差し棒で示しながら民衆に絵解きをしたものと思われるが、話の内容がまるで入ってこないのではというほど、絵がゆるい。ゆるゆるである。
肖像彫刻で知られる、念仏の言葉が小さな仏と化して口から出てきた……というくだり(最下段)は、死骸の散乱する河原という深刻なシチュエーションであることを忘れるほど、ゆるい。縁日の屋台で売られている、吹くとピーヒョロと音を立てて蛇のように伸びる、あの懐かしおもちゃと似たり寄ったりである。この絵のグッズがあれば……欲しかったな。(つづく)