印象派との出会い―フランス絵画の100年 ひろしま美術館コレクション /栃木県立美術館
ひろしま美術館は、広島銀行の創業100周年を記念して設立された私立館。印象派をはじめとするフランス近代絵画のコレクションで知られている。
いずれゆっくり訪ねてみたいなとずっと思ってきたが、いまだ機会がなく、果たせないでいた。
それがこのたび、宇都宮の栃木県立美術館で名品展を開催するというので、いつかのための予習といった意味も込めつつ観に行ってきた。
フランス近代絵画に、渡欧経験をもつ日本の洋画家の作品をとりまぜた46作家、67点。この数字からもわかるように、近代美術史を彩る数多の大家たちをちょっとずつ「つまみ食い」できる、贅沢な展覧会であった。
「つまみ食い」とは言葉が悪いが、いずれもしっかりと歯ごたえがあり、旨味のしみ出てくるような絵ばかり。そのなかでもとくに気に入った絵を、思いつくままに挙げていきたい。
パリの都市風景を描いた絵には、とりわけよいものがあった。
同じパリの街でも、それぞれ切り取り方は異なる。
「花の都」の活気はルノワールの《パリ、トリニテ広場》に、大都会の洗練された空気はピサロ《ポン=ヌフ》に、それらと表裏一体の路地のうら寂しさはユトリロ《モンモランシーの通り》に、それぞれ表れているように思われた。
ユトリロは日本でも非常に好まれる作家のひとりであるが、よく見かけるのはもっと暗色系の、うらぶれた雰囲気の街並み。この絵には大きな静寂があるけれど、ミニマルなまとまりも感じさせて好もしい。一点透視図法のわかりやすい絵であり、気軽に飾りやすいとも思われた。
フランスの片田舎を描いた作にも、よいものがあった。
シスレーの《サン=マメス》。青い空と水とを広々と展開させた、わたしのすきなシスレーそのもので、気分までスカッと晴れてくる(画中の空は、雲量多めだが)。この絵はがきを購入して、いま部屋に飾っているところだ。
セザンヌ《曲がった木》は、曲がった木を近景に大きく配し、その木越しに農村風景を望む。枝が風に揺れ、梢がさわさわと音をたてるさまが目に見えるようだ。描きこみは密で、サイズも大きく、名品といえるだろう。
岡鹿之助《積雪》は、雪の積もった山中の寒村を描く、フランス留学中の作。この人の作はどこまでも無音で、同時に楚々とした情緒を持ち合わせるふしぎな世界観。とてもよい。
人物画としては、ルオー《ピエロ》の極太で、迷いのない描線に魅せられた。
また、ボナール《白いコルサージュの少女(レイラ・クロード・アネ嬢)》は、第一印象はさほどではなかったものの、背景のパープルが気に掛かってじっと観察、いつのまにか引きこまれていた。パープルといい、面積の大きい白といい、ソファの縞模様といい、色遣いの妙に非凡なものを感じる。この人らしい、むらのある筆触もよい。
南薫造《春(フランス女性)》は、東京ステーションギャラリーでの回顧展以来の再会。薫造はやはりこの頃の、水彩画を思わせる淡い色調の繊細な作がいちばんよい。出色の作である。
——ずいぶんと楽しませてもらった本展ではあるが、ひとつ、心残りがある。ぽっかりと、大きく開いたままの穴……それは、この美術館の看板作品であるところのゴッホ《ドービニーの庭》。本展には、出品されていなかったのである。
オーヴェル=シュル=オワーズで描かれた、ゴッホ最晩年の作。これが観たかったのに……あえなく、おあずけとなった。
ひろしま美術館に行けば、この《ドービニーの庭》や、まだ見ぬ作品を拝見できるのみならず、今回の展示で出合えた作品たちとも再会を果たすことができてしまう。
いつか、ひろしま美術館に行ってみたい——やっぱり、そう思った。
こういった観衆をつくる、いわば関東に種をまくといった意味合いも、今回の出開帳の目的のひとつなのだろう。
見事に、術中にはまってしまった。