源氏物語 THE TALE OF GENJI /東京富士美術館
今年の大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部を主人公としている。
古今、『源氏物語』を主題とした美術作品・資料は枚挙に暇がないゆえに、各地の美術館・博物館では、関連する展示がさかんに開催中。なかでも、極めつけといえそうなのが本展である。
たいへん充実した、お腹いっぱいの内容。以下が、そのサブタイトルだ。
「拡がり」はたしかに感じられたのだが、写本や版本といった国文学の資料的なものはほぼなく、絵画史を主体とした美術史の範疇にとどまる内容ではあった。蒔絵も、現代アートも、与謝野晶子や谷崎潤一郎の新訳本も、『あさきゆめみし』の単行本も出ていたけれど、参考程度。本展の主役は、やはり絵画である。
それでもなお「お腹いっぱい」と断言できるのは、絵画作品の点数・ボリュームもさることながら、作品の選定がすばらしかったから。
特定の所蔵先に頼りすぎず、国宝や重文の名品を片っ端からというのでもなく……全国の所蔵先から厳選されたリストになっており、わたしにとって初見の作品も多かった。このリストのおかげで、八王子までたどり着けた感すらある。
入って最初の部屋では、イントロダクション的に有名作品が並んでいた。
平安の貴族文化のイメージを喚起する石山切や久能寺経の料紙装飾から、紫式部その人を描いた作品まで。出品中で唯一の国宝・春日大社の古神宝類《緑地彩絵琴箱》(平安時代・12世紀)もこちらで拝見。
《緑地彩絵琴箱》が「唯一の国宝」……という点からお察しのように、いわずと知れた国宝《源氏物語絵巻》(平安時代・12世紀 五島美術館・徳川美術館)は、残念ながら本展にはお出ましでない。近年の現状模写と、国宝のツレである書芸文化院所蔵の詞書の断簡のみが出品されていた。
そのかわりといってはなんだが、国宝絵巻と同時代・別系統の源氏絵《源氏物語小色紙 宿木》(平安時代・12世紀 個人蔵)を初公開。よくまあこのような作品が、これまで埋もれていたものだなぁと感心。徳川美術館の《宿木》と現物比較できる機会も、いずれやってくるであろうか。
次のパート「あらすじでたどる『源氏物語』の絵画」、これが圧巻であった。
全54帖のあらすじを、小画面の源氏絵の作例を引き合いに出して、1帖ずつ丁寧に紐解いている。
土佐派や住吉派による源氏絵の画帖には、全帖もしくはそれに近い状態で現存するものもある。それを数セット展開すれば、同じ内容の展示はできてしまいそうなのだが……本展では、23点の画帖・冊子・色紙・巻子を駆使して54帖を解説するという、力の入れよう。正気の沙汰ではない(褒め言葉)。
次なる展示室は一転して大画面、絢爛たる屏風の数々が登場。ここもすごい。
細長い展示室の左右に、源氏絵の屏風が何隻も配されていたのだ。しかも、多くは金地の屏風である。中央の島には、『源氏物語』をモチーフとした、これまたキラキラの蒔絵が。
ここでは、室町期までさかのぼる伝・土佐光信の《源氏物語図屏風》(室町時代・16世紀 今治市河野美術館)、もくもく金雲と清雅な描きぶりが魅力の土佐派《源氏物語図屛風 須磨・橋姫》(江戸時代・17世紀 サントリー美術館)などに、とりわけ心惹かれるものがあった。
東京富士美術館からも、六曲一双の《源氏物語図屏風》(江戸時代・17世紀)が出品。おそらくはこの1点がはじまりとなって、本展もスタートしたのであろう。
狩野晴川院養信《源氏物語図屏風》(文政9年〈1826〉 法然寺 重文)の美麗さ・完成度の高さに息を呑んでいると、その向かいはもう、尾形月耕や松岡映丘ら、近代の作例であった。源氏絵は、明治以降も定番の画題として描き継がれていく。
上村松園の《焔》(大正7年〈1918〉 東京国立博物館)。そういえばこの絵も、源氏絵なのであった。本展では、松柏美術館所蔵の下絵を展示。
このほか、『潤一郎新訳源氏物語』の愛蔵版に寄せられた挿絵の原画(昭和30年〈1955〉 中央公論新社)にも、たいへん魅力を感じた。安田靫彦、前田青邨、中村岳陵、福田平八郎、小倉遊亀らによる、白描画の小品。線描が美しい。サイズ感からしても、とりわけ欲しいと思われたものだ。
同じ部屋に、若干の現代アートと、さまざまな媒体・言語で世に出された『源氏物語』のバリエーションを紹介する展示が設けられて、終幕へと至るのであった。
——じつは、本展の企画は大河ドラマとは無関係で、たまたまこの時期にバッティングしたという。運がよいものだ。
大河ドラマが放映される日曜日、しかも閉幕の日に来館してしまったわたしは、運がわるい……というか、人ごみが苦手ならよく考えて行動すべきだったが、まあ、間に合ってよかった。八王子駅からバスを乗り継いでまでやってきた甲斐は、ちゃんとあったのだった。