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没後190年 木米:1 /サントリー美術館

 「木米」の字面にピンとこない方でも、「青木木米」といえば、なんとなくイメージが湧くのではと思う。
 とはいっても、近世絵画・陶磁両分野で不動のビッグネームとして認識されるいっぽう、どんな人物か、どういった代表作があるのか、即座に答えられる人は多くないだろう。
 代表作を強いて挙げるとすれば、絵画は《兎道朝暾図》(個人蔵)、やきものは《染付龍濤文提重》(東京国立博物館)。いずれも重文で、認知度は高い。逆にいえば、ほかの作品が浮かびづらい。
 今回のサントリー美術館の展示でも、やはりそろってポスターに起用されていた。

 文人画や煎茶といった文化は、現代の日本人にとって——というか、フェノロサや岡倉天心が築いた「日本美術史」の延長線上を土壌に価値観をはぐくんできたわたしたちにとって、非常になじみが薄い。
 フェノロサや天心は、文人趣味を前時代的なものとして排し、とくに天心は、茶の湯・茶道に重きを置いた。
 その後の絵画史研究の動向はともかくとして、陶磁史において、木米の研究はじつはかなり少ない。京焼という括りの一環として掘り下げがあるくらいで、木米をはじめ煎茶器の研究は、ほとんど未開だ。
 ここにも、明治期のフェノロサらの価値観がまだ影を落としているといえるのかもしれない。木米の「メジャーでマイナー」な存在感は、なかなかに根が深い。

 サントリー美術館のニュースレターに事前に目を通して、興味深く思ったくだりがある。
 担当の学芸員さんが、館蔵品の《三彩鉢》を純粋に「楽しい」「おもしろい」造形として受け止めていて、それが企画の根抵をなしたのだというところだ。

 なにを隠そう、かくいうわたしにも、フェノロサや天心の幻影に囚われているところが確かにあるのだ。
 煎茶器を下に見るわけではけっしてないのだが、理解の及びがたいどこか別の世界のものと、身構えてしまってきたふしがある。
 だからこそ、この一節を読んで目から鱗というか、「そんなに身構えなくてもいいのかな」と思えるようになって、展示にうかがうのがよりいっそう楽しみになったのだった。

 ——なお、冒頭の「青木木米」に関して補足すると、本展が「没後190年 青木木米」と名乗らず、キャプションでも作者名を「木米」のみとすることには、れっきとした理由がある。
 「木米」とは号であり、その由来は「木」は姓の「青木」もしくは屋号の「木屋」、「米」は名の「八十八(やそはち)」である。
 つまり「青木木米」としてしまうと、真ん中の2文字「木木」に意味の重複が生じてしまう。このことから、近年は単に「木米」と呼ばれるようになってきている。
 たとえが適切か微妙なところだが、「キムタク」のことを「木村キムタク」と呼ぶ人は誰もいない。「キム」とは、「木村」の略なのだから……そんなところだ。
 所蔵する館によっては、作品の登録名称として長く使われてきた経緯もあり、そのまま「青木木米」としているところも依然として多い(東京国立博物館も)。
 そんななか、サントリー美術館は、展覧会名にも最新の見解を踏まえることを選択した。集客面を考えると、「青木」を冠する選択肢もあったとは思う。しかし、こうして勇気をもって旗振り役となってくれるのは、とてもありがたいことだ。(つづく

 ※呼称の揺れについては、ゴーギャンとゴーガン、ハンマースホイとハマスホイ、冷泉為恭と岡田為恭、狩野一信と逸見一信などさまざまな事例があるが、木米に関しては迷う余地はないように思う。


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