向島発、千葉経由、新潟行き~藤牧義夫が描いた建物
館林市立第一資料館の特別展「藤牧義夫と館林」では、代表作《隅田川絵巻》の現存する全巻が公開されている。
家から持参した『別冊太陽 モダン都市東京』には、絵巻の各場面がどこを描いているか、描写の特徴はどうかといったことが簡潔に記されており、鑑賞の手引きとして大いに参考になった。
隅田川の沿岸を克明に描写したこの絵巻には、現存する建物もいくつか描かれている。洲之内徹さんが解説するように、それは古社寺のような「ずっと古くからあるもの」で、そうでなければ白髭橋がわずかな例外であり、基本的には「近代的建造物はすべて、今日では姿を消している」。
「姿を消している」ーーその表現で間違いはないのだが、絵巻を観ていくうちに「現地から姿を消してはいても、いまもなお生きながらえている」たてものがあることに、わたしは気づいたのだった。
絵巻のこの部分、垣根に囲われた大邸宅の中心に立つ、背の高い望楼のようなたてものがそれである。
洲之内さんによると、垣根の内側は実業家・大倉喜八郎の向島別邸の敷地なのだという。
ーー間違いない。唐破風つきの入母屋の屋根をもつこの建物は、たしかに現存している。
その場で思い出せたのは「向島から千葉のどこかに移築され、近年になって大倉家の縁故の地にさらに移築された」というあいまいな輪郭だけだった。
調べると、正しくは「戦後に向島から千葉県船橋市へ移築され、平成25年に解体。一昨年、大倉喜八郎の出身地・新潟県新発田市へ移築された」ということであった。建物の名前は「蔵春閣」。
「千葉県船橋市」が、個人的に引っかかった。わたしが住んでいる市川市の、すぐ隣なのである。いつも利用する最寄り駅は、市の境を越えて船橋市内にある。
つい平成の終わりまでこの建物があったのは「ららぽーとTOKYO-BAY」の一角とのことだった。こちらもやはり身近で、自転車で買い物に来るようなところだ。
ららぽーとができる少し前は総合レジャー施設「船橋ヘルスセンター」があった。ご年配の方にとっては、かの『8時だョ!全員集合』の公開放送の収録地としておなじみだったとか。東北にいる父が、千葉の船橋と聞いてすぐに「船橋ヘルスセンター」の名前を出したのを思い出す。
このヘルスセンター内の中華料理店として、蔵春閣は利用されていたのだという。たしかに、この派手派手の豪勢なつくり、中華料理店であっても違和感はない。
解体後、しばらく部材のままで眠っていた蔵春閣は、建て主である大倉喜八郎の故郷・新発田市内への移築がようやく完了し、一般公開に向けてただいま環境整備中。オープンまでは、もうしばらく時間がかかるようだ。
館林に生まれて東京で絵を描き、若くして亡くなった藤牧義夫。
関東近郊でじゅうぶんに事足りるかと思われた「藤牧義夫巡礼」に、思わぬ北陸からの刺客到来である。
日本有数の豪雪地帯のこと。とりあえず、冬は避けたいところだ……
※きょうはたまたま、虎ノ門の大倉集古館に行った。ホテルオークラのあるこの周辺は、大倉喜八郎の赤坂葵町本邸跡。集古館は向島別邸以上にコッテコテの中国趣味で、収蔵品にも中国古美術が多々ある。向島別邸の調度品だったものも含まれていることだろう