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茶の湯の堺 〜利休と桃山陶〜/堺市博物館&さかい利晶の杜
大阪府堺市は、千利休の出身地。その師である北向道陳や武野紹鴎も、やはり堺の地で活動した人物だ。
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北向道陳の像は、なかった
茶の湯の大成者を堺が輩出できた背景には、日明貿易や琉球貿易、朱印船貿易により巨万の富を築いた大商業都市としての姿と、その担い手となった町衆の豊かな文化的素地があった。町域には環濠がめぐらされ、全国有数の自治都市として戦国の世に大きな存在感を放っていた。
いっぽうで、堺は幾度も災禍に見舞われ、上から土をかぶせて整地を繰り返してきた。そのため地中にはミルフィーユ状の層ができ、出土遺物の細かな年代を特定することが可能となっている。
富のあるところには、最先端のすぐれたモノが集まる。堺の環濠都市遺跡には、舶来の高級陶磁器や流行の桃山陶が大量に埋まっていた。茶道具の優品は利休の時代からやや遅れる慶長期の層から出ており、茶室の遺構も確認されている。
堺市博物館の常設展示にはこういった遺物のコーナーがあり、興味深く拝見した。
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堺市博の館外・利休像の真向かいには、茶室が2軒設けられていた。
「黄梅庵」は、今井宗及ゆかりとの伝をもつ茶室。松永耳庵の小田原の家にあったものが、没後に寄贈された。
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昭和23年に耳庵が譲り受けるまでは、奈良・今井町(橿原市)の豊田家住宅(寛文2年〈1662〉築 重文)内に立っていたという。今井町もまた、堺と同じく商業で栄えた環濠都市である。意外なところで、奈良につながった。
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もう1軒は「伸庵」。仰木魯堂の設計で、芝公園から移築。
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由緒正しい茶室を2つも備えているとは、さすが利休の出身地といったところであるが、堺市の所有する茶室はこれだけではない。
市内の中心部には「さかい利晶の杜」という、2015年に開館した新しめのミュージアムがある。「利晶」という耳馴れない言葉は、堺が生んだ2大人物・千利休と与謝野晶子に由来する造語。利休の屋敷跡は利晶の杜の目と鼻の先、晶子の生誕地も徒歩5分程度とのことで、この場所に建てられたようだ。
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利晶の杜には、レプリカ中心の展示室などの施設とともに、茶室「さかい待庵」が設けられている。
利休その人が携わった現存唯一の茶席・妙喜庵待庵(京都府大山崎町 国宝)を、建築当時の姿に原寸で再現したもので、内部も見学可能。この日は時間の都合もあり、外観のみ拝見した。
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※さかい待庵の他にも、利晶の杜には多数の茶席が設けられているようだ。以下のページにまとめられている。
2階の企画展示室では「在りし日の堺-中世堺の都市景観をたどるー」が開催されていた。堺環濠都市遺跡で近年進んでいる発掘調査の成果を、絵画史料などを援用しつつ紹介、中世の町並みをよみがえらせてみようという趣旨。
併設の「歴代発掘調査担当者が選ぶ逸品」コーナーでは、景徳鎮官窯や李朝官窯の陶片、志野の花入(!)といった珍品が陳列されていた。景徳鎮官窯の陶片は、中国の王室だけで使われていたはずのもので、国内唯一の出土例。
来場者はこれら「逸品」から、自分のお気に入りをさらに1品選び、シールで投票できる仕組み。わたしは、竹をかたどった一輪挿しサイズの古備前花入に投票させてもらった。最終的には、どんな開票結果になったのだろうか。
もうひとつの併設コーナー「触れるうつわ」は、堺出土の各種の陶片に自由に触れることができるという、たいへんありがたい展示。
こちらに投票の仕組みはなかったけれど、勝手に1票投じさせてもらうならば、断然、黒織部の沓茶碗の陶片。上がりよく、ツヤよく、幾何学文の彫り文様は力強く、黒白の肩身替わりがみられ、かつ、部分から全体を容易に想像できる……すごくすごくいい陶片で、欲しくてたまらなくなってしまった。
魔が差さないうちにとっとと退散したが、忘れがたい、あの感触……
※下のツイート、画像3枚めが「触れるうつわ」コーナー。ぞっこんの黒織部陶片は、上段左から2番め。
会期は10/27(日)まで!
— さかい利晶の杜 (@rishonomori) October 2, 2024
皆様のご来館をお待ちしております。#さかい利晶の杜 #利晶の杜 #在りし日の堺 #さかい焼ってなんだろう #堺焼 #中世 #堺 #堺市 #大阪 #企画展 #展覧会 #museum #pottery #exhibition #sakai #japan pic.twitter.com/O3KwddEDSI
——利休の縁はもちろんのこと、関西国際空港にも程近い堺が、茶の湯でまちおこしをしようというのは、たいへん理にかなっている。応援していきたいものだ。