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没後190年 木米:7 /サントリー美術館

承前

 木米のやきもののイメージソースは多岐にわたり、レパートリーは広すぎるというくらいに広い。
 その様相の一端をお伝えすべく、図録をめくりながら、特徴的な作例を思うままに述べていくとしたい。所蔵者の後ろの枝番は、図録に記載の作品番号。

・《黒釉三彩瓜文鉢》(大和文華館 1-12)
 中国・清代の素三彩(そさんさい)のうち、「ブラック・ホーソン」と呼ばれる地を黒で塗り潰したタイプを模した鉢。

・《色絵金彩菊夕顔文茶碗》(滴翠美術館 1-15)
 白化粧の上に色絵金彩で菊文様を描いた筒茶碗。内側には金彩のみで、夕顔の花・蔓を隙間なく展開。仁清や古清水を意識しながらも、新味を出している優品。滴翠美術館らしい「みやこ振り」の好みともいえる。

・《色絵七宝文茶碗》(個人蔵 1-16)
 黒釉に色絵で七宝文を施した、茶箱に仕込める大きさの碗。共箱に「仁清黒(にんせいぐろ)」とあるように、声価の高かった仁清の同様の作例を模したもの。隣には、館蔵の仁清《色絵七宝文茶碗》も参考出品されていた。
 ただ、仁清とは形状がまったく異なるし、黒釉は全体にかかるのではなく、裾部に向かってジグザグに途絶え、底の周辺はすべて土見せとなっている。このジグザグは後から削ってつくられたかなり意図的なもので、解説によると、先に白釉、その上から黒釉を塗るという、非常に手のかかる技法とのこと。さすがに直接の関係はないが、ジグザグは北斎の《山下白雨》のそれを思わせる。

 姿形の典拠は中国・明代の雲堂手(うんどうで)と解説には書かれていて、おそらくその通りかと思われるが、このジグザグについて詳しいことは不明。実験作ということもあろうが、なにか明確な典拠がありそうだ。

・《青磁象嵌十字文俵形鉢》(個人蔵 1-27)
 一見して萩焼などの朝鮮系陶器と見紛う鉢。細長い壺を寝かせて高台をつけた類例は朝鮮に求められるが、俵を横に真っ二つにして下部を残したこの種の鉢は、国内で生み出されたものとされている。流通量が多かったとも思われない作例を、木米はどこで目にしたのだろうか。

・《織部釉牡丹文手鉢》(個人蔵 1-28)
 織部の手付鉢を模し、見込に大きく鉄釉で唐花を描いている。萌黄に近い緑釉は、ガラス質で目の醒めるような桃山の緑とは比べるべくもない薄味。桃山の古作を気にしなければ、味わいは感じられる。
 桃山陶の評価が今日のように高いものとなるのは近代になってから……といった点も踏まえると、木米は桃山の織部を実際には見ておらず、版本の挿図を参考にして本作を制作したのかもしれない。それほど、かたちだけが似ていて、ほかの要素が似つかない。

・《鉄釉茄子形土瓶》(個人蔵 1-29) 
 洛東・粟田口に伝わる逸話に登場する「手取釜」を、やきもので再現。粟田口は、木米が窯を構えた地である。
 不均一に掛けられた鉄釉が古びた鉄瓶の風合いをよく表しており、釉技の光る作品。

 ——木米は、みずから「古器観」と号するほどあまたの古陶磁を実見し、それが叶わないものは版本から学びとって、制作に活かした。木米の作陶は、「観る」ところからすでに始まっていた。
 木米のテクニックをもってすれば、古作と見紛うほどの忠実な贋物をつくることも充分に可能だったろう。
 展示にはじっさい、朝鮮の茶碗や中国の青磁四方鉢の直模といえる作も出ていた。
 技術の高さにはうならされたが、やはり、木米なりのアレンジが顕著なもののほうが、いきいきとしていて、本領を発揮できているなと思った。

 この「アレンジ」、また「独自の解釈」といったあたりが陶工・木米の最大の持ち味といえるが、本展ではこれが「ブレンド」と形容されていて、感じ入るものがあった。
 ブレンドコーヒーは「どんな豆と豆が、どのようにブレンドされているか」ということに詳しくとも、そうでなくとも、その味わいを享受することができる。木米のやきものにおいても、同じなのではないか……そんなふうに、思いはじめていたところだったのだ。
 
 本展は単館開催で、巡回しない。
 次の木米展が何年後になるかわからないが、ずいぶん先になるに違いないそのときには、木米のやきものが、自分の目にどう映るのだろうか。
 今回は気づきもしなかった木米の仕掛けや「味わい」に、今度は気づけるかもしれない。
 そんな予感をもたせるくらいに噛みごたえがあり、また「鏡」めいたところもありそうなのが、木米のやきものであろうと思われた。
 


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