ルールをほとんど決めない「ゆるい」お店運営に魅力を感じはじめています
私の情報の拾い方が間違っていなければ、近年、個人飲食店ではお客さまのふるまいや過ごし方に関するさまざまな「ルール化」が進んでいるように思います。
マスクや消毒をしてください、のような感染対策に関するものはもちろんのこと、2人以上での来店お断り、予約は電話のみ、といった来店じたいに関するルール、あるいは写真撮影やネット口コミへの投稿禁止、食べ方やオーダーの仕方への注文など、店内外での行動に関することまでさまざまです。
昔から独自ルールを敷くお店はありましたが、今よりもっと少数だった気がします。
あるいはお店をやっている者の基本的な考え方として「どんなお客様でも受け入れよ、こちらから要求するなんてとんでもない」という意識を持つことも一般的だったように思います。
しかし最近は、自営業でも働き方を見直す動きが活発です。
SNSなどで「こんなお客さまに疲弊した」といった発信に触発され、もてなす側だって声をあげていいんだと気づいた人たちが新たにルールを明確化し始める動きもあります。
私たち夫婦が経営している飲食店も、近年はどちらかというとルール厳格化に近い方向に進んでいました。
とくに夫よりも私のほうがその気持ちが強く、今までなあなあにしてきたあれこれを、きちんと言語化してお客さまに伝えていく努力をしたいなぁと思っているところでした。
しかしごく最近になって、これとは全く真逆のやり方ーーつまりルールをほとんど決めない「ゆるい」お店運営も、またありなのかもしれないなぁと感じるように。
そのきっかけとなったのは、私がこの秋から参加している執筆サークルなのです。
"ゆるい場" には安心感が生まれる
何度かお伝えしているとおり、私はこの秋から野本響子さん主宰の執筆サークルに参加しています。
いまいち協調性に自信のない私が楽しく続けられているのは、自分でも不思議なぐらいです。
(まだ3ヶ月ほどしか経っていませんが、ダメなときはほんとだめなので)
なんでここでは楽しく続けられているのだろうと考えてみたら、おそらく主宰の野本さんがいい感じにゆるい雰囲気を作ってくださっているからなんだろうなと気づきました。
たとえば月に一回のミーティングは参加できる人だけ適当に集まってやりましょう〜とか、気楽でいいです。
私がまだ20代前半だった頃、イベサーっていうギャルサークルが流行ってたんですけど、そこでのルールはけっこうキツくて、ミーティングには絶対参加しないといけない、メールは即レスとか、私には絶対ムリだなと思いました。
その点いまのサークルでは、やらなくちゃいけないことってほぼないんです。初めの自己紹介ぐらいでしょうか?
投稿したり、他の方の投稿にレスしたりするのも皆マイペースでやってます。
サークル内で新しい企画ができたりするんですけど、それも参加するしないは個人の自由だし、その報告すらとくにしなくていいのです。
野本さんご自身が「私適当なので」とおっしゃっているのも、いち参加者の私としては安心できます(個人的にはそんな適当な方だとは思いませんが)。
きっちりしなくてもいいんだ、完璧じゃなくてもここにいていいんだって思えるんですよね。
私もまた、お客さまを自分のテリトリーに迎え入れるという意味では似たような仕事。
それでふと、自分たちの店も、こんなふうにルールがほとんどないゆるい場であってもいいのかもしれないなぁと思いました。
〇〇をやらないでください、こういうときはこういうふうにしてくださいといったルールは、多ければ多いほどお客さまの負担が増えます。
それにお客さまにルールを課すのなら、自分たちも営業時間や料理の提供時間など約束したことは絶対に守らなければなりません。
それが仕事だと言われればもちろんそうなのですが、地味にストレスが溜まります。
それならばいっそルールをほとんど無しにしてしまって、お客さまも店側も細かいことは互いに許し合えるゆるい場にしてしまえば、それはそれでみんなハッピーなのでは?と思ったんですよね。
ただしフィルターをつけるのが大事
ただかといって「うちはルールなんてものはありません。みなさん自由にどうぞ〜!」と言ってしまうとおそらく場がめちゃくちゃになります。
冷蔵庫から勝手に飲み物を出す人、オープン前に店に来て飲みはじめる人、大声で歌を歌い出す人、店内はカオス状態です。
いくら多少のことには目をつぶると言っても、毎日これでは自由すぎて営業が成り立ちません。
では野本さんのサークルはなぜ、ルールがほぼ皆無のゆるい感じなのにうまいこと成り立っているのか。
おそらく多くのメンバーが野本さんのマガジンの購読者であることがポイントかなと思います。
野本さんはご自身のマガジンでほぼ毎日、東南アジアで学ばれた生き方や、子どもの教育に関することを発信されています。
私を含め参加しているメンバーの多くは、おそらくそれら考えに触れては共感している人たちばかりなんですね。
だから、世の中にはいろんな人がいて当たり前だと思ってるし、続けることだけが正しいわけじゃないと認識してるし、積極的に自分以外の人を褒めようともする。
トラブルや揉め事、険悪な雰囲気がないのは、当然といえば当然なのかなぁと。
つまり「主宰側の価値観」というフィルターを通しさえすれば、ルールがほとんどなくても成立するゆるい場を作ることはできるんじゃないかな?と思ったんですね。
店側の考えや価値観に共感するか、拒否感のない人だけ集まれば、これはあーしてくれこーしてくれといちいち紙に書いて張り出したりしなくても良くなるんじゃないかなぁと。
本当なら、野本さんのサークルがそうであるようにあるていど閉鎖された空間だとベストなんだろうと思います。やはり誰にでもオープンな場は荒れやすい。
そういう意味では、飲食店だと会員制や一見さん不可のようなお店だとやりやすいのかもしれないです。
ただそれだとちょっと現実的じゃないお店も多いと思うので、フィルターの層は少々厚めにしておくといいのかもしれません。SNSではっきり自分の意思を表明しておくとか。
それこそ、私テキトー人間ですとか、こういう人が嫌いですとか言っておくと、来る人は選びそうですがあとが楽になりそうです。
お客さまも、お店に対して丁寧さや正確さを過度に期待することがなくなりそうですよね。すごく気が楽です。余分にサービスしてしまうかも。
おっきな価値観だけ共有できたら、あとはだいたいで
あと仮に私がゆるい感じの店作りを目指すなら、スタッフや周りのお客さまなど、同じ空間にいる人すべてに「許す心」を持ってもらうことを唯一のルールにすると思います。
料理が遅いとか、トイレの扉が開きっぱなしだとか、新聞ちゃんと畳めよとか、隣の赤ちゃんがうるさいとかでいちいち怒らない(新聞とトイレに関しては自分自身にも言い聞かせなきゃです)。
その代わり、店がヒマならメニューにない料理にも柔軟に対応するし、2人で来て1品だけの注文なんかもありにします。
ただ忙しいときはごめんなさいなので、あの時はやってくれたとか、あの人だけずるいとか、そういうことは言わないでほしい。
あるていど自由にふるまっていい代わりに、わがまま言ったらお金を使う、ちいさなことで文句を言わないなど、節度を持った楽しみ方をしてほしいんですよね。
そのへんのおっきな価値観だけ共有できたら、あとはだいたいでいいのかなぁと。私たちも細かいことは言いません。
細かいことを気にし出すとどんどんルールって増やさなければならなくなるし、ひいてはそれが誰の幸せでもなくなってしまいかねない気がするんです。
まぁでも、言い方は悪いですがお客さまをふるいに掛けるという意味ではルールの厳格化は効果がありますし、ルールを決めることがお店の世界観を作るのならそれもまたありで。そこに安心感を得る人がいるというのもわかります。
なのでどちらが良い悪いとかではなく、私はこのゆるいスタイルの方がもしかすると性に合っているのかもしれないなぁというのが今日のお話でした。実現できるかどうかはわかりません!
ではまた次回☆
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