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「ストーリー」で溢れる飲食店のSNS。このままでいいのか。
SNSやnoteで飲食店のアカウントを覗くと、最近はどこもストーリーを語る投稿で溢れています。
創業のヒストリーとか、仕入れの苦労とか、たしかに読むとどれも面白いです。
うちの店も、語るようなストーリーなんてないと思いきや、気づくとSNSの投稿は思いやヒストリーを主眼に置いたものが多くなっていることに気がつきました。
最近のトレンドですよね「ストーリーを伝えろ!」って。関連するビジネス書もたくさん出ています。
ただ一方でこんな意見もあります。
お店やその料理を紹介するタイプのグルメ記事、もちろん読むのは好きなんだけど、「もっと!料理そのものに関してもっと詳しく!」と歯痒い気持ちになることも多い。
— イナダシュンスケ (@inadashunsuke) December 29, 2021
単に「おいしい」だけでなくどうおいしいのか具体的に書いてほしいし、とは言ってもそれを描写するのは難しくまた限界もあるから>
だったらレシピとまでは言わないまでも作り方の詳細まで踏み込んでほしい。
— イナダシュンスケ (@inadashunsuke) December 29, 2021
そして「おいしい」よりもっと大事なのは「どういう点で他と違うか」なので、世の中の一般的なその料理との対比で違いを明確に書き著してほしい。
みたいなふうに考えて身悶えしてしまう。
「料理そのものに関してもっと詳しく!」。
なるほど。正直私はあまり深く考えたことがなかったです。
ということは私もまた、グルメ記事やお店の投稿でストーリーを消費している者の1人だったのかもしれません。
料理を提供することが本職であるはずの飲食店の記事や投稿が、味や製法の詳細よりも、ストーリーで溢れている理由はいったい何なのでしょうか。
そして私たちは果たして、ストーリー主体の投稿をこのまま続けていて良いのでしょうか。
人によって違う ”美味しさ” よりも伝えたいこと
巷のグルメ記事や飲食店のSNSにストーリーが溢れている理由。
ひとつ考えられるのは、自分たちにしか知り得ない情報を広く伝えたいという意図です。
たとえば、食のプロのための雑誌「料理通信」の編集長は、以前インタビューでこんなことを言っています。
最近ではグルメブロガーが増えていますし、単なるお店情報であればお金を払わなくてもタダで手に入ってしまいます。(中略)ブロガーの多くはお客さんとして料理を食べて記事を執筆しますが、私たちは厨房のなかに入り、料理が提供されるまでの過程や料理人の思いを取材することができます。これは『料理通信』という媒体がもつ大きな強みです。
味覚が個人の育ち、経験値、体調や環境に左右されるものである以上、「おいしい」という主観的な情報は絶対的なものにはならないのです。(中略)もしも私たちに伝えられる確かなことがあるとすれば、料理を作る人が何を考え、調理の過程で何をしたか、という事実です。だからこそ、料理が提供されるまでのバックグラウンドに誠実でありたいという思いは、常に抱き続けていますね。(太字は筆者によるもの)
たしかに今は、ブログやSNSで誰でもグルメレポを書けるようになりました。
個人なら「この料理はこんな味がして、こんなふうに美味しかった」と自由に書くことができますし、それが個人ブログの面白い部分です。
一方でメディアだとそうはいかないかもしれません。彼らが主観で味を評価してしまうと、情報の正確性が失われてしまう可能性がある。
だからその分、取材しないと知り得ることができない部分にスポットライトを当てる。ようはそれが「お店の思い」であり「ストーリー」なのです。
お店からの発信にしてもそう。当事者だからこそ語れる思いやヒストリーを発信することに、意味と価値があるのには納得します。
ただ料理通信でいうと、読者層にはプロの料理人もいます。
なのでひたすら料理に関することが書かれていてもおかしくないはずなのですが、それでもやっぱり「思い」や「バックグラウンド」が主体。
編集さんもプロですから、読み手の需要はあるていど把握しているはずです。
ということは、読者はよっぽど思いやストーリーを求めているということになります。
なぜこんなにもストーリーが好まれるのか
多くの読者が、味の詳細よりもストーリーに興味を持つのはなぜなんでしょう。
これはたぶんですけど、もはや飲食店の料理はレベルが高すぎて、ほかと大差がないからじゃないかと思うんですよね。
もう今ってどこのお店に行って何を食べてもだいたい美味しいです。まずいものを探す方が難しいぐらい。
わかりやすい表現と美味しそうな写真さえあれば、食べてみたいリストの候補に上げるには十分な理由になる。
なので何を食べるかの決め手は、大多数の人にとって、味の細かな違いよりもお店のストーリーや料理人の思想に共感できるかどうかになってきてるんだろうと思います。
先日の記事にも書いたように、これからはできあがった商品よりもプロセスに価値が出る時代。
グルメ記事やお店のSNSがストーリーで溢れるのは、その象徴的な現象なんじゃないかという気がします。
あるいは「食べる専門」の消費者の中には、美味しいものが食べられれば理屈はいらないと思う人もいるはずです。
実際私がお店に立っていても、長ったらしい料理の説明をいやがるお客さまは一定数います。
案外食べることは好きでも、料理じたいにそこまで興味ないよっていう人は多そう。
それだったら、シェフの人柄や、思いや、お店のストーリーを知る方がよっぽど脳が喜ぶのかもしれない。
小説や映画が廃れないことからもわかるように、人って物語が大好きなんですよね。
飲食店を自分のもうひとつの居場所にしたいと思っている人にとっても、単に美味しいだけより、お店の思いや価値観に共感できるかっていう部分が重要な来店動機になるのかなと思います。
お店もまた “共感” でファンを作りたい
物語に共感してファンになってくれた人は、なかなか離れません。これはお店にとって嬉しいポイント。
味でファンになった場合、よそで美味しいお店ができたらすぐそちらに鞍替えしてしまう可能性がある。
というか、味の違いに敏感なグルメ通が限られたお気に入りの数店舗に通うことは稀で、つねに多くの店を渡り歩いては批評しています。
うちの店も、蕎麦通と呼ばれるお客さまは決まって味にうるさく、それでいていろんなお店に通っているみたいです。
それはそれで良い評価をしてもらえると宣伝になるなどのメリットはあるものの、やはり自分の店に密に通ってくれる常連さんを増やしたいと思うのは自然なことです。
そのためにはやはり、味よりも思いやストーリーを通した精神的な結びつきを形成することが有効なのでしょう。
そもそも最近は、食に深い知識を持つお客さまが減ったという声も聞きます。
そうなるとなおさら「わかりやすさ」を全面に出すスタイルにならざるを得ないのかもしれません。
なんでもバランスが大事。
ただ、なんでもやりすぎると飽きられるのが世の常です。
実際Twitterで交流しているあるフォロワーさんは「ストーリー過多でお腹いっぱい」だとおっしゃってました。
う〜ん、たしかにバランスは大事かもしれません。
紙媒体はともかくウェブ記事やSNSなんかは文字数や投稿数の制限がないに等しいのですから、玄人さんたちを蚊帳の外に置かない情報の出し方をもう少ししてもいいのかも。
そのあたり、私自身も少し意識しながら店アカの運用をしてみようと思います。
でも記憶の限りでは、そうした投稿はあまりウケが良くなかった印象です。私の表現力の問題もあるかもしれませんが。
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