公園なのに「東遊園地」 進化する神戸のオアシス
ご訪問ありがとうございます、「ぶらっくま」といいます。
突然ですが、神戸市の都心部・三宮にある「東遊園地」をご存じでしょうか。神戸市民でなくても、下のような光景に見覚えがある方は多いのではないでしょうか。
この写真は、阪神・淡路大震災から28年となった今年1月17日早朝、神戸市などによる恒例の追悼行事「1・17のつどい」が開かれた東遊園地の様子です。灯籠が暗闇に浮かぶ中、地震発生時刻の午前5時46分に参加者が黙とうしました。
今年の灯籠の文字は「むすぶ」でしたが、これは公募で毎年変わります。敷地内には、犠牲者の名を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」などの震災関連施設もあり、震災を機に始まった光の祭典「神戸ルミナリエ」の会場の一部としても利用されています。
上の写真が普段の東遊園地(※現在は再整備中のため状態が異なります)。かつては土のグラウンドでしたが、市が2015年度から芝生化を進めました。平日は近隣オフィスのビジネスマンらの憩いの場、休日は親子らの遊び場やイベント会場として親しまれ、神戸の都心部のオアシス的な存在です。
と、ここまで読んで、疑問に感じた方もおられるかもしれません。「やっぱり公園やん」「なんで遊園地なん」と。
確かに現代でいう(テーマパーク的な)遊園地とは違いますね。ただ「遊園地」の名が付いた当時にさかのぼると、「公園」の一言では片付けられない歴史があり、現在も変化を続けています。その変遷をご紹介します。
近代スポーツ「輸入」の窓
かつては開港に伴って来日した居留外国人たちがスポーツに興じる広場でした。当初は外国人専用でしたが、やがて日本人チームとの交流試合も行われるようになり、日本での近代スポーツ普及に大きな役割を果たしました。
外国人居留地の「東」に接することから、1922(大正11)年に現在の「東遊園地」という名称になりました。ちなみに当時の「遊園地」という言葉は、今の「公園」のような意味だったとされます(「やっぱり公園やん」というツッコミが入るかもしれませんが)。
「安藤建築」の図書館が誕生
新型コロナウイルス禍を受けて事前予約・時間入れ替え制になっていますが、子どもだけでなく、誰でも利用可能。私も、春の陽光を浴びながら、童心に返って本の世界に没頭したい…。記事にあるように、ウッドデッキもあります。
もちろん建物そのものも魅力です。コンクリート打ち放しの壁、隠れ家や秘密基地のようでありながら開放的な空間…。「安藤建築」好きにはたまらないですね。兵庫県、神戸市には安藤さんが手がけた建物がほかにも数多くあるのですが、それはまた別の機会に。
4月7日にリニューアルオープン
目下、上の記事にあるリニューアル工事が大詰めを迎えています。
日本の近代スポーツの起点、震災の記憶継承の場、市民や観光客らが憩うスポットと、さまざまな顔を持つ東遊園地。神戸での観光やショッピングの合間に、ちょっと立ち寄ってみてはいかがでしょう。
<ぶらっくま>
1999年入社。神戸出身の私にとって東遊園地は、「神戸まつり」の会場としても思い出深い場所です。新型コロナ禍で3年連続延期されましたが、今年は5月28日に4年ぶりに開催される予定です。東遊園地の隣を走る大通り「フラワーロード」でのパレードを含め、港町に久しぶりに祝祭のにぎわいが戻るのが今から楽しみです。