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「足立率」なんと6割
全国の日本人名字ランキングを見てみると、多くの方がご存じの通り、トップは「佐藤さん」でおよ数は約184万人です。2位は「鈴木さん」で約178万人、3位は「高橋さん」で約139万人、4位は「田中さん」で約1132万人、5位は「伊藤さん」で約106万人と続きます。
こんにちはド・ローカルです。今回の投稿は兵庫県に集中する名字に着目したいと思います。丹波市内には約6割が「足立さん」を名乗っている地域もあり、全国足立さん祭りが開催されました。同じく丹波市には「久下(くげ)さん」も多く、三木市には「藤田さん」が集中します。
調べていくと、昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で取り上げられた承久の乱(1221年)が大きく関わっているようです。
全国の足立さん集まれ祭り
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「全国の足立さん集まれ」の号令の下、足立姓の人たちが集い、足立姓であることを祝福し合う―。そんな「足立賛歌」とも言うべき祭りが、丹波市青垣町山垣の旧遠阪小学校で開かれた。リモート座談会やプロ音楽家のコンサート、集合写真の撮影などがあり、大勢の足立さんが出演者、裏方、観覧客などさまざまな立場で参加。山あいの旧校舎に、足立ワールドが出現した。
「全国の足立さん集まれ祭り」。足立姓の多さという特色を生かし、地域を盛り上げようと、遠阪自治協議会と有志の実行委員会が初めて開催した。
▼ルーツは13世紀
旧遠阪小学校区は住民の「足立率」の高さから、地元で「6割が足立姓」とも伝えられている。ルーツは13世紀前半、丹波に赴任した地頭、足立遠政にさかのぼるとされる。武家としての足立姓はこの地を約350年間治めた後、16世紀後半に織田信長の丹波攻めで滅んだが、子孫は農民になって生き残ったという。
そんな地域で2022年、「遠政熱」が急上昇。きっかけは、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」だった。鎌倉幕府樹立の経緯が描かれる中で、遠政の祖父、足立遠元が登場したのだ。22年4月に地元有志13人(うち10人が足立姓)が祭りの実行委員会を発足し、半年かけて準備してきた。
祭り当日、受け付けで名前を記帳した一般来場者は計228人で、うち足立姓は120人。「足立率」は驚きの52・6%に達した。
▼大河俳優も参加
祭りは午前10時に開幕。司会の足立沙織さんの紹介で、実行委員長の足立喜信さんが「一日楽しんで、足立を盛り上げて」とあいさつした。全国各地の足立さん8組と会場をリモートでつないだ座談会では、大河ドラマで遠元を演じた俳優大野泰広さんも福岡県のホテルから出演し、ドラマをPRした。
最後は会場にいる足立さんらで写真撮影。シャッターの瞬間、全員で「はい、あだちー」を合言葉に笑顔をつくった。実行委の一人は「足立で良かった」。実行委は来年の開催も前向きに検討しているという。
▼「足立あるある」
来場者の半分を足立さんが占める会場では、「遠阪地区では石を投げれば足立に当たる」「名字を呼ばれても、他に足立さんがいるかもと思い、すぐに反応しない」「名字で呼ばれることがまずない」など、さまざまな「足立あるある」が聞かれた。
「学校のテスト返却の時に先生が『足立さーん』って呼ぶと、(足立姓の人)全員が立っちゃう」と話すのは、青垣小学校3年、足立寛太君。母親の幸子さんは同姓同名が多いため、「山垣の幸子さん」と、住所を名字代わりに呼ばれることがある。
青垣小3年の足立桃哉(とうや)君は所属する野球チームの半数ほどが同姓で、「仲間がいっぱいでうれしい」と笑顔。丹波市春日町の足立孝さんは「はんこを持っていくのを忘れた時は、その場にいる足立さんからよく貸してもらって押してたな」と、ささやかな利点を明かす。
会場近くに住む足立亜緒衣さんは結婚して足立姓になったが、「なってみると、みんな親戚感がある」とほほ笑む。同市春日町の足立旭(あきら)さんは「『足立』は自分のアイデンティティー」と話していた。
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神戸新聞では創刊120周年にあたる2018年に「新五国風土記 ひょうご彩祭」を掲載しました。その中でもこの「足立さん」にも触れております。
鎌倉時代の武士が源流 東京・足立区とも〝遠縁〟
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もやに包まれ、うっすらと白む丹波の山並みをフロントガラス越しに眺めながら、北近畿豊岡自動車道の青垣インターチェンジを降りる。
2、3分車を走らせると、「アダチ電化サービス」の看板が目に入った。「青垣に足立さんが多いって聞いて…」。店番の男性が黙って奥に入り、電話帳を手に戻ってきた。
「めちゃめちゃおるで」。〝第一の足立さん〟である元治(もとじ)さんがにんまりする。1枚、2枚と足立姓で埋め尽くされたページを繰っていく。「この辺りで『足立』と呼ぶもんはおらん。みんな名前や」
では、同じ名前の場合は? 元治さんが「一郎さん」を例に挙げた。農協で働いているから「農協一」、信用金庫勤めなので「金庫一」。職業のほか、住まいの地区の名を付けて区別することもあるそうだ。
さらに10分ほどハンドルを握る。元治さんの紹介で、ほとんどが足立姓という桧倉(ひのくら)集落へ。この家も、隣も、そのまた隣も…。
旧姓も結婚後も足立姓の加津子さんが、足立さんだけが集まる地元の行事を紹介してくれた。「株講」や「氏神講」と呼ばれ、年1回の開催がちょうど10日後に。当日、桧倉を再訪すると、墓地の一角にある石碑の前で、6人の足立さんがお経を唱えていた。
米や酒とともに供える木箱の中には、墨書の札が入っている。最年長の治さんによると、江戸時代前期の先祖の名前が記されているという。だが、桧倉全体のルーツではない。約40世帯が三つのグループに分かれ、別々の先祖を祭っている。
◇
本家42軒、分家273軒。
「家族の源流 足立氏ものがたり」(中央公論事業出版)には、江戸時代後期の地誌から引いた氷上郡内の足立家(安達家を含む)の世帯数が記されている。国民全員が名字を名乗る明治時代以前の段階で、青垣周辺では既に相当な規模を誇り、複雑に枝分かれしていたことが分かる。
源流は、鎌倉時代の一人の武士にある。1209年に武蔵国足立郡から青垣に移り、遠阪地区に山垣(やまがい)城を築いた足立遠政(とおまさ)だ。名門藤原氏の血を引き、姓の由来となった郡名は東京都足立区に引き継がれている。
遠政の屋敷があったと伝わる佐治地区の妙法寺を訪ねた。応対してくれたのは、「家族の源流―」の著者で前住職の竹内正道さん。研究者らとの交流を通じ、家系図など足立氏関係の資料を数多く保管する。
早速、尋ねてみた。「なぜ、これほどまでに足立姓が多いのでしょうか」。竹内さんは、戦国時代、明智光秀の丹波攻めに敗れた後の処遇が大きかったとみる。戦に負けて滅ぼされたり、離散したりする一族がある中で、足立氏の多くは帰農することで許されたという。「攻防の要所でもなく、光秀側にしたらうまみのない土地だったから寛大に扱ってもらえたんでしょうな」
武士の身分は捨てたものの、地元で勢力を維持する。その後も分家を重ね、明治時代になって平民が名字を付ける際には、遠政への愛着から足立姓がさらに増えた。これが、竹内さんの見立てだ。
◇
「妻の旧姓も、繁忙期に来てくれるパートも、足立さんですね」
朝倉勝治さんが笑う。青垣の産業に川魚アマゴの養殖があると聞いて訪ねた「あまご村」。経営者の名字は違えども、やっぱりどこかで足立姓とつながっている。
養殖の将来を聞くと、朝倉さんの表情が寂しげに。1960年代以降、町内を流れる加古川の恵みを生かして広がったが、後継者不足などで次々に廃業した。「3軒の足立さんが辞めて、今はうちだけです」
丹波の他の地域と同様、青垣でも高齢化が進む。町内にあった四つの小学校は昨春、1校に統合された。卒業生の足立率も下がり、4割超えが当たり前だったのが、近年は2割を切ることも。それだけ若い足立さんが地元を離れているのだろう。
今年1月下旬、寒波で白く染まった青垣。年末の12月8日に生を受けたばかりの足立さんに出会った。光さん、史(ふみ)さん夫妻の三女恋華(れんか)ちゃんだ。優しく抱きかかえる2人の姉を、ゆっくりとしたまばたきで見つめている。
「ありふれた名字なんで、他の子とかぶらないような名前を付けました」
光さんがほほ笑む。愛らしく咲く花のように、地域のみんなに愛される存在に―。2506グラムの新たな命に、そんな願いを込めたという。
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ここで一つ、あまりに「足立さん」という名前が多いと起こりうる〝足立さんあるある〟をまとめてみました。
★名前で呼ばれることに慣れすぎて、青垣を離れた時に「足立さん」と呼ばれても気付かない
★野球の試合で、〝足立だらけ〟のスコアボードに相手チームがざわつく
★足立さん同士の結婚も、足立家が別の足立家から養子をとることも珍しくない
★同じ「アダチ」でも、安達さんへの親近感はいまいち
★何だかんだ言って、足立姓が気に入っている
丹波の足立姓が、鎌倉幕府と関連性があるのでは? と書いてきましたが、取材を進めると、三木市・吉川の「藤田さん」、丹波市の「久下(くげ)さん」、そして丹波篠山市の「中沢さん」「酒井さん」。それぞれの地域に多いことで知られるこれらの名字、広まるきっかけが承久の乱にあったということが分かってきました。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも取り上げられたこの戦い。はるか昔、兵庫から遠く離れた場所で起こった出来事がどのように影響したのでしょうか?
朝廷の所領没収し、関東から「大移動」?
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承久の乱は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対し、討伐の兵を挙げたことに始まる。源頼朝の妻北条政子の演説が関東の武士たちを結束させ、幕府側が圧勝した。
姓氏研究家の森岡浩さんは、「歴史上で何度か名字が移動する時期はあるが、承久の乱は現在に影響を残すほどの大移動だった」と説明する。
幕府は朝廷方の所領約3千カ所を没収し、功績のあった武士らを土地の管理者「地頭」に任命。西日本を中心に土地を与えた。これが関東由来の名字拡大につながった。
森岡さんによると、当初は土地を移る武士は少なかったが、モンゴル帝国による元寇(げんこう)(1274、81年)の頃、幕府は守りを固めるため、武士たちに西日本へ移るよう命じた。
一部の武士は赴いた先で有力豪族となった。駿河(静岡県)から安芸(広島県)に移った吉川家は、その後藩主に。相模(神奈川県)から豊後(大分県)に赴任した大友氏は戦国大名としても知られる。
◇
では、兵庫県内にはどのような影響が残ったのか。
三木市吉川町。町内最多の名字として知られているのが「藤田」だ。起源は武蔵国藤田郷(現在の埼玉県寄居町)とされる。郷土史家の藤田均さん(70)=三木市吉川町=によると、同町周辺は天皇家の荘園があり、藤田氏に与えられた。
同乱では北条義時の息子泰時が京都に攻め入った際、後鳥羽上皇が発した降伏の院宣を藤田能国(よしくに)が読み上げたとされる。これらの功績を受け、藤田氏の一部が吉川町周辺に移ったとみられ、県指定文化財「法光寺文書」でも移住を裏付ける書状が確認できるという。
藤田氏はその後滅ぶが、「藤田率」3割7分を誇る同町内の奥谷地区では、明治時代に名字を決める際、寺の住職が藤田氏の偉功にあやかって名字を「藤田」にすることを勧めた―という逸話が残っている。
また、森岡さんは「丹波市の久下氏や丹波篠山市の酒井氏らも、承久の乱後に地頭として移ってきた」と紹介する。久下氏は武蔵国久下郷(埼玉県熊谷市)の武士で、同乱の後、現在の丹波市山南町の一地域にとどまった。また、武蔵国中沢郷(同県本庄市)を拠点とした中沢氏は現在の丹波篠山市大山地区に、酒井氏も関東から丹波篠山市古市地区などに移り、ともに名字が分布する。
このほか、「鎌倉殿の13人」に登場する足立遠元(とおもと)の孫遠政(とおまさ)は、承久の乱が起こる前とされるが、武蔵国足立郡(東京都足立区など)から現在の丹波市青垣町に地頭として赴任。関係が深い同町遠阪地区は「6割が足立姓」とも伝わる。
11日の放送で、三浦義村とともに登場した御家人の長沼宗政は、摂津国や淡路国の守護などに任命されるなど、兵庫県と坂東武者との関係は他にも。森岡氏は「名字には、先祖がどこでどういう暮らしをしていたかが込められている。名字のルーツから一族の過去に思いをはせてほしい」と話した。
「足立さん」ではありませんが、昨年、全国の「タナカヒロカズ」が一同に介するイベントも開催され、ギネス記録を塗り替えたようです。
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同姓同名の「タナカヒロカズ」さんが1カ所に集まる「タナカヒロカズ運動全国大会2022」が2022年10月29日、東京・渋谷で開かれて178人が訪れ、2005年に米国で「マーサ・スチュワート」さんが集まった164人を超えてギネス世界記録を更新した=写真。3歳から80歳まで、職業も経歴も異なる各地のタナカヒロカズさんが集合し、ベトナム・ハノイからも訪れた。
認定は5分間同じ場所にいることが条件。各自が持参したパスポートや健康保険証などで名前のチェックを受けた。ギネスワールドレコーズ社の公式認定員が記録更新を告げると、178人が一斉に拍手して笑顔に。呼びかけ人の会社員田中宏和さんは「結果とか成果とかを出さなくても、ここにいるだけで世界一になれる。脱力するような見本を作れた」と胸を張った。
<ド・ローカル>
1993年入社。コロナ禍や戦争、格差…。「分断」の進む今の世の中で、人がつながることは大切です。「いざ鎌倉」ならぬ、「いざ青垣!」のもと、全国の「足立さん」が丹波に集い「足立ワールド」を実現させたことはすばらしいと感じました。
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