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『おふくろが呆けました』〜はじめに

物事にはどんなことにも「始まり」があります。

今回についてはその始まりがどこからなのか、どこにあったのか、この文章を書くにあたり考えてみました。
     
私の家族は両親と兄弟四人。そして私、次兄、弟が独立をして家を出ており、家には親父、おふくろ、長男の三人で生活をしています。週末や年末、お正月などはみんなが集まり楽しく飲んで、食べて思い思いにいろいろな話を楽しんだものでした。

この事態が一変したのは二〇〇六年、親父が倒れて長期入院の後に亡くなったことからです。それから数十年後、親父の死がこのような事態につながっていくとは思いもしませんでした。

生活の中で起こる出来事がその後の展開を大きく変えていく事があります。特にお年寄りと同居をしている場合にはその傾向が大きいのではないでしょうか。逆に考えれば何かあった時が物事の始まりかも知れないという気持ちを持つ事が私たちには必要なのかもしれません。

今の時代『呆け』『認知症』という言葉を聞いたことがないという人はいないでしょう。新聞やテレビ報道などで見たり聞いたりしている事と思います。そして『呆け』『認知症』がどういうものかという事も大体理解はしているものの『呆け』『認知症』が自分の身内に起こることを考えたことがある人は少ないのではないでしょうか。いや、考えてはいるもののそれを認めることを心のどこかでしたくないという思いの人が多いと言ったほうが正しいかもしれません。

実は私自身も言葉としても内容としても理解はしているつもりでしたが「まさか」・・・という思いでした。「まさかおふくろに限って・・・」という思いからでしょうか、私自身が『呆け』『認知症』から目をそらしていたのかもしれません。

「あれ、おかしいな」「なんでこんなことをしているんだ」など今から思えばその症状は少しずつ、少しずつ進行していたのです。気がついていたのですが認めたくなかったのだと思います。

ここでは私が体験したこと、感じたことそして老人福祉についての知識が無い中での私自身の取り組み、心情を思いつくまま文字にしてみました。項目ごとにまとめてありますのでそれぞれの事柄についての年月日が前後していますが、このエッセイが私と同じような思いで日々過ごしている人たちへ何か少しでもアドバイスという形で役に立てばという思いで記憶をさかのぼりながら文字にしてみました。

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