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『おふくろが呆けました』〜⑦グループホームへの入所

2021年11月、ケアマネージャーより家の近くにあるグループホームに空きが出そうという情報が入りました。

以前からグループホームに入所するなら自宅近くのここがいいと思っていたところでした。そこは家の近くでもあるし入所してもそれほど違和感はないのかなと少し安心していたのですが、その後、退所予定の方の話が思うように進まず進展が見られなくなりました。

そうした中、今まで考えたことのないグループホームに空きが出たという連絡がありました。空きは一人、今決めないと次に希望している人に話をしないといけないという事で、迷っている時間がありません。ここで決めないと、次にいつ空きが出るか分からない、介護老人保健施設の入所期限も迫っている事もあり、深く考える時間もない中で、空きが出たという区内にあるグループホームに入所の決定をしたのです。

本当に世の中は思い通りに行きません。いくつかあるグループホームは下準備で調べていたのですが、今回は全く考えていない施設だったこともあり施設の内容が良いのか、悪いのか全く分かりません。分からない中でも今決定しないとこの先どうなるのか。そんなことを考えたら、とにかく今決定しない事には話が進まないと判断をして入所を決断しました。全く知らない施設は私自身も多少なりとも不安、心配はありましたがおふくろは私以上に大きな不安があったと思います。この決定が吉と出るか凶と出るか、心配と不安の中で今決定しなければ、最悪なパターンを考えると入所の選択しかありませんでした。

グループホームとの事前の打ち合わせの後、用意された部屋にはおふくろが愛用していた椅子や小机やタンス、テレビに親父の遺影も持って行き、いつでもグループホームでの生活が始められるようにしておきました。

施設からグループホームへの入所前に一度自宅に戻ろうかとも思いましたが「帰りたい」と言っていた家に戻り、もう自宅から出て行かないという事になったら、それはそれでおふくろにとっても悲しい事かと思い、申し訳なかったのですが介護老人保健施設から直接グループホームに直行しました。

おふくろにしてみれば、ようやく介護老人保健施設から出られて家に帰れると思っていたところで、また知らない施設に連れて行かれたという事では驚き、心は不安でいっぱいだったことでしょう。事前に「次はグループホームに行くからね」と何度も、何度も話はしていましたがそれを理解する力はもうなかったと思います。

グループホームでは職員が事前に私のおふくろが新たに入所することを入所者に伝えてあったので、初めて入った時には皆さんから温かい言葉をかけてもらいましたが、おふくろはかわいそうなくらい不安そうな顔をしていました。

事前に用意をしていた部屋に二人で行き、荷物の説明などをした後に突然おふくろから「儀さんはどこにいるんだい」と言われました。「儀さん!」おふくろが親父の事を「儀さん」と名前で呼ぶのを生まれて初めて聞きました。「お父ちゃん、お父ちゃん」としか聞いたことがなかった私に「儀さん」という言葉はまさに衝撃でした。それだけおふくろの不安が大きいという事なのでしょう。グループホームでの生活はおふくろにとって本当に大丈夫なのだろうか。入所初日に私の心も心配と不安で一杯になってしまいました。

そして今回のグループホーム入所で一番大きなことは、もしかしたら二度と自宅に戻ることは出来ないかもしれないという事です。例年なら数日の自宅への帰宅は認められていたのですが、おりしもコロナウィルス感染拡大の今、外に出ることも出来ない状態です。すなわち最悪の場合はこのグループホームがおふくろの終の住みかとなる訳です。一番心苦しいのはその事をおふくろが知らないという事です。それを考えるだけで私自身の心が苦しくなります。何をしてもおふくろには謝る事ばかりです。本当に、本当に親不孝な息子でごめん。しかし私はおふくろを見捨てているわけではないからね。いつかあの世とやらで会ったら今回の事についてゆっくり話をしたいものだと思っています。

2021年(令和3年)4月初め、快晴の日曜日。数日前におふくろのために買っておいた春物のスラックスの裾上げをやり終えました。その他の春物衣服を揃えてグループホームに向かおうとしたのですがどうにも足が前に進みません。おふくろの顔を見て私は大丈夫なのか、私の顔を見ておふくろは大丈夫なのか、もしおふくろが私のことを忘れていたらどうしよう、それとも帰りたいと腕にしがみついてきたらどうすればいいんだなどと心の葛藤があり、どうにも足を前に進めることができないのです。

電話でおふくろの様子を聞くと「入所しているみなさんと楽しく話すようになりました。夕方になると帰りたいと言うことはありますが以前よりは切り替えが早くなっています」毎回同じ言葉しか聞いていない気がする。実際のところはどうなんだろうか。本来なら毎日でも時間を作って面会に行き、しばらく一緒の時間を過ごすことが出来ればもう少しグループホームでの様子が分かるのだろうし、おふくろの心も少しは安定するのかも知れない。しかし今は新型コロナウィルスの感染拡大でとても面会に行ける状態ではありません。おふくろの事はすべてグループホームに任せるしかありませんでした。

グループホームの皆さんと仲良く生活をし、心穏やかに過ごして欲しいと言うのが私の本音ではあるのですが、それは一方では認知症が進み自分の周囲の状況判断ができなくなると言うことでもあるのです。自分の家の事も忘れてしまうという事なのです。どちらが良いのか、それを考えるとどうにも心が壊れるくらい辛く、苦しく複雑な気持ちになってきます。

その日に春物衣服を届けに行きたいと言う連絡をした後、意を決してグループホームを訪ねてみると、施設長が対応をしてくれました。すると「顔だけでも見ていってあげてください」とおふくろを私の前に連れて来てくれたのです。

おふくろを見るのは三ヶ月振り、少し年をとった感じはするものの一人で歩いて来る姿にとりあえず安堵。一歩一歩近づいてくるおふくろ。私を見て誰だか分らなかったらどうしよう。たったこれだけの出来事なのに、本当は短い時間の中の出来事なのに、自分自身が大きな緊張感に包まれているのがよく分かるのです。

おふくろは私の顔を見るなり「しげちゃん、よく来てくれたね。何で今まで来てくれなかったの、もうここから帰りたい。一緒に家に連れて帰しておくれよ。一人でも大丈夫だから、家に連れて帰しておくれ」そして施設長に「私の息子ですから、ここからは二人にしてください、二人で話をします」とも言っていたので確実に私のことを認識してくれているとほっとしました。

そして、以前と変わらず「帰りたい、帰りたい」と言うところを見ると認知症は進んでいないと思い、それはそれで嬉しい気持ちにもなりました。私の手を放さないおふくろには本当に申し訳ないのですが「もう少しここで頑張って、また顔を見に来るから」と言い残しグループホームを後にしました。

少なくともおふくろは確実に私のことは覚えていてくれていた、そして家に帰りたいと言う気持ちもずっと持ち続けていた。良かったのか悪かったのか、嬉しいのか悲しいのか何とも複雑な気持ちで帰りの途につきました。

いつも考える事があります。このままおふくろを連れて家に帰れたらどんなにおふくろは喜ぶか。私が一緒に生活をすれば万事丸く収まるのだろうかといつも、いつも同じことを考えるのです。しかし冷静になってみると一日、二日はいいとしても一か月、二か月、半年、一年を考えた時自分は大丈夫なのか、そこまで私一人の力でおふくろを支えることが出来るのか。いつもいつも、毎日、毎日同じ事が頭の中をぐるぐると駆け巡るのです。そして最後には「今の自分には無理だ、おそらく共倒れになる」そんな答えが残ります。家に帰りたいというおふくろをグループホームに残して、自分はなんて親不孝な息子なんだと自己嫌悪に陥ります。

今年(令和3年)97歳になるおふくろ、私をここまで育ててくれたおふくろ、いつも私たち子供の事を一番に考えてくれていたおふくろの最後をこんな形で終わらせるのかもしれないという思いはいつも頭のどこかに張り付いてしまい、時としてどうしようもなく辛く、悲しくなる時があります。親不孝な息子でごめん、本当にごめんね。

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