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『おふくろが呆けました』〜②初めての転倒事故

おふくろの異変はずいぶん前から現れていたのかもしれません。

2015年(平成27年)12月中旬、私の勤務先に弟から携帯に電話がかかってきました。仕事中の電話という事で一瞬嫌な予感がしました。

「おふくろが買い物の途中に転倒し、救急車で運ばれた」救急車という言葉に驚き、急いで仕事を早退して救急車で運ばれたという救急病院に駆けつけました。受付窓口に行き事情を話すと職員から「その方なら処置をした後、息子さんと一緒に自宅に帰ってもらいました」とのこと。

再び今来た道を引き返し、急いでおふくろの家に戻りました。
「自宅に帰すくらいだから大したことはなかったのか」と思いながらおふくろの様子を見ると顔の左半分は青く腫れあがり、左ひざは内出血で真っ青となっていて立ち上がることが出来ない状態です。病院はよくこの状態で家に帰したものだと驚いてしまいました。

弟から事故の状況を聞くと、買い物かごを押している時に何かにつまずいたようでバランスを崩し、そのまま前方に顔から転倒、左膝を道路に打ち付けてしまったという事でした。

今まで杖を使ってはいたものの歩行についてはそれほど心配したことはありません。本人も一人で買い物や近所の友達の家に行くなど日々の生活の中で「歩く」場面は多くあったのです。

しかし、今から思い返せばこの事故から数年おきに転倒を繰り返し、大きな怪我を起すようになっていきました。大きな怪我をするたびに数週間、数か月の入院を繰り返すようになっていったのです。

ずいぶん後になるのですが担当のケアマネージャーから「老人は自分の周囲の環境が変わると認知症になる、あるいは認知症の進行が速くなることがあります」という話を聞いたことがあるのですが、今から思うとこの初めての転倒事故が認知症の始まり、きっかけになっていったと思っています。そして転倒の治療・入院を繰り返す中で少しずつ、少しずつ認知症の進行を速めていったのだと思います。初めての転倒事故からおふくろの状況は確実に変わっていきました。

顔の腫れは時間とともに消えていったものの、問題は膝の怪我でした。とにかく立ち上がれない、歩けないという状態の中でこのまま寝たきりになるのではないかという不安が頭をよぎりました。

近くの整形外科に行っても痛み止めと湿布薬しか処方されません。年末を控え、状態は一向に快方に向かはない事への焦りが日増しに大きくなったある日、ふと整骨院の看板が目に入りました。ここなら何かしらの対処療法をしてくれるのではないかと思い、整骨院の扉を開け若い整体師に母の状況を説明すると「直ぐに連れて来て下さい」と言う返事をもらうことが出来ました。

早速車でおふくろを整骨院まで連れて行くと整体師は状態を確認し、患部に冷却処方を施してくれたのです。整形外科では薬の処方だけだったので実際に人の手での治療に大きな光が射したような気持ちになった事を覚えています。

「今はまだマッサージを行わないほうが良いでしょう。しばらくは患部を冷やし、状態を見てから電気治療とマッサージを始めていけば快方に向かうと思いますよ」という言葉がどれだけ気持ちを楽にしてくれたことか。

その日から毎日車での通院が始まり、数十分の施術を受けることになりました。年末年始というのにほとんど休みもなく患者の対応にあたっている整骨院での治療でおふくろはみるみる快方に向かっていきました。ある日の事、ふと見ると一人で立ち上がり、歩けるくらいまで回復していたのです。今から思い返してもあの整骨院の先生方の治療がなかったらどうなっていたか、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

ちょうど同じ頃、歩行の面を考えたら車いすが必要になるのかと思い始め、車いすをどのようにしたら借りることが出来るのかを考えていたところで初めてケアマネージャーの存在を知ることになりました。要支援、要介護の認定から福祉の手当てなどをこの段階で初めて知ることになったのです。

早速近くの事務所(介護センター)を訪ね、いろいろと話を聞いてもらい、相談をしながらアドバイスをいただきました。「まずは介護認定ですね」役所の手続きなども全てお任せし、これ以降の出来事については毎回担当のケアマネージャーと相談をしながら一つ一つの事に対処をお願いすることとなりました。この介護センターの職員の方々にはいろいろな相談事に的確なアドバイスや対応方法を提示していただき、どれだけ助かった事か。感謝の一言です。

年も明け、1月の中旬頃には車いすを使うこともなく膝のケガも順調に回復が見られ、自力で歩行もできるようになりました。しかしこの一件はその後次々に引き起こされる事故の始まりでもありました。恐れていた事故は約半年後におきたのです。

夜中にトイレに行こうとベッドから起き出した時に転倒、頭を床に打ち付けて頭頂部分の裂傷で大出血をしてしまったのです。そのまま動けなくなってしまい朝まで床に倒れこんでしまいました。早朝に訪れた弟は部屋一面血の海に倒れているおふくろを見てかなり驚き、すぐに救急車を要請、病院へ搬送されました。

大出血のため輸血を開始、頭部の怪我という事もあり精密検査を含め容態が安定するまで数週間の入院治療となりました。入院当初は動くこともできず、心配をしていたのですがどうにか容態も安定、元気を取り戻したところで退院です。

さすがに退院後はおふくろ一人の生活が心配になり私がしばらく泊まり込むことにし、おふくろに付き添うことにしたのです。そんな中、付き添い数日後の夜、同じく夜中にトイレに起きた時にベッドから転倒。「痛い、痛い」と言う声で私が目を覚ますと暗闇の中で苦痛にゆがんだおふくろの顔が目に入りました。抱き上げようと体を触っただけでも「痛い!」という声。どうすることもできない状態の中このままにしておくわけにもいかず、そっと身体を持ち上げどうにかベッドに戻したもののこの状態はただ事ではないことは容易に想像ができました。朝になっても痛みに顔をゆがめているおふくろを見て再び救急車を要請し前回と同じ病院へ搬送、考えてみればつい先日退院したばかりなのに再び救急搬送されるとは病院の先生方も驚いたことでしょう。

診断の結果は右大腿骨(足の付け根)骨折。「完治には手術が必要、しかし年齢を考えると手術は難しいかもしれない」と言われました。「手術をしないとどうなるのですか」と聞くと「歩くことが出来なくなるのでおそらく寝たきりの生活になるでしょう」と言われ、「それでは手術をお願いします」と返答すると「当病院の現状では手術の予定が詰まっており手術は出来ない、手術を希望するなら他の病院を探す」と言われ、すぐに転院の作業に入ってもらいました。

どうにか受け入れてくれる病院が見つかり再度救急車で他の病院へ転院。手術に向けた検査の後、数日をおいて手術となりました。ここでも手術前に担当医からは「高齢と言う事もあり手術中、そして手術後についての心配はあるがそれでも手術を希望しますか」と問いかけられましたが何もしないで寝たきりになるなら手術を受けて良い結果を信じたいと返答をしました。おふくろにも現状を話し、手術の同意を受けています。手術当日は心配で落ち着かない時間を過ごしたのですが幸いにも手術は成功、病室に戻ってきたおふくろを見て一安心をしたのもつかの間、今までの入院でもそうですが術後の対応も多岐にわたり私自身の心が休まることはありません。

手術前はもちろんの事、手術後もしばらくは動くこともできないため一日二回、朝と夕に面会に通うことにしました。真夏の暑い中、じりじりと照り付ける太陽の下を人々が行きかう雑踏を抜けて何日も、何回も歩いたことを今でも覚えています。

手術後の経過も良好で次はリハビリテーションの開始となります。リハビリテーションを始めるにあたりリハビリテーション専門の病院へ転院しなければなりません。さあ、どこのリハビリテーション病院にするか、希望の病院に空きがあるのかなど病院専門の相談員との話し合いでようやくリハビリテーション専門病院への転院が決定したのです。転院前には事前打ち合わせを行います。おふくろの状況説明や転院日の決定などを話し合い全ての準備を終えたところで転院となりました。

リハビリテーション専門病院では同じような症状の方たちとの生活の中で毎日歩行訓練など自立に向けたトレーニングを開始。90歳を超えている老人にはかなりきつい毎日だったと思います。ここでも仕事帰りや休日に大きな荷物を持って何度も病院に足を運びました。気が付けば季節は秋から冬に変わろうとしています。

おふくろはそれほど社交的な人ではなく、見知らぬ人との生活は苦痛のようではありました。私が面会に行くたびに「いつ帰れるんだい、早く帰りたい」と毎回訴えていました。結局この言葉がこの先もずっと続くことになり私の心を苦しめていくことになるとはその時は気が付きませんでした。

3か月のリハビリテーションを終了してようやく自宅に戻ることが出来たのは11月も中旬。骨折騒動から約3か月半、本当に慌ただしい日々でしたがどうにか終わったという安堵感。その中でも一番喜んだのは早く家に帰りたかったおふくろでしょう。とりあえずは良かった、寝たきりになっていたかもしれないおふくろが一人でも歩けるようになって自宅に帰ることが出来たという事だけでほっとしたものです。しかしこの時はまだ、また同じことが起きるのではないかという思いには至りませんでした。

今になって思えばもうこの段階で、この先に何が起こるかを十分に予想はできたはずでしたが、その時は何故だか事態が悪いほうへ流れると思うことが出来なかったのです。とにかく長い、長い入院生活が終わり、おふくろが元気で家に帰れたという事でほっとしてしまったのです。

2019年6月、仕事中に私の携帯に救急車の救急隊員から連絡がありました。救急車からの連絡という事では大変な事態が起こったと直感。「お母さまが路上で転倒し動けないところを通りかかった人が救急要請をしてくれました」との事。

すぐに現場に駆け付け、救急車に乗って自宅近くの病院へ。診察の結果は左手首の骨折でした。かなり痛いのでしょう、左手首を押さえてうずくまっています。医師からは前回の骨折と同じで「高齢なこともあり元の状態に完治することは難しい、最悪の場合は手が使えなくなることもあります」という話におふくろの怪我の心配と同時に自分の生活も心配になりました。不謹慎なことですがまたあの入院、見舞いの生活に戻るのかと思うと心が苦しく、暗くなってしまいました。

当日は転倒した際の体の影響も心配になりなんとか病院にお願いをして入院させてもらうことにしました。どうにか二日後には手首の痛みは引いたようで退院。治療といっても手首を固定して回復を待つしかないのですが身体的なカルテがある、足の骨折で手術をした病院で治療を開始することにしたのです。

受診の予約日には仕事を休んでおふくろの送り迎えの生活が始まりました。大病院ですので受診の日はほぼ一日がつぶれます。そうした中で数ヶ月後、レントゲン写真を見ると骨もくっつき、痛みは残るものの日常の生活には大きな支障がない程度までに回復をすることができました。

2020年2月、自宅でよろけて柱にわき腹をぶつけるということがありました。翌日おふくろを訪ねてみるとベッドに横になり、痛みで動けない様子を見てすぐに救急車を要請。病院へ搬送され、診察の結果はあばら骨の骨折でした。ここでも痛みで動けない様子から病院にお願いをして数日間の入院となりました。

おふくろにしてみればその度に生活の環境が変わる訳ですから、精神的な戸惑いは相当大きかったと思います。今から思うとそれらの一つ一つが認知症を少しずつ、少しずつ、ゆっくりと、ゆっくりと進めていったのでしょう。【怪我をする→入院をする→認知症が進行する】この悪の連鎖をどのように断ち切れば良かったのでしょうか。やはり高齢となったおふくろの一人の生活が難しかったのだと思っています。

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