立花隆さんの 「ぼくはこんな本を読んできた」 を読んで
本を手に取った経緯は何となくです。
読んだ本に、この本はいいよと紹介があったから、くらいです。
読むにあたって、何となくお名前を聞いたことがあると思い、検索してみました。テレビで拝見したことがあり、お話が面白かった方だと思い出しました。恥ずかしながら、私の理解はその程度でした。
この本は、作者の立花さんが本と向き合い、「知りたい」という思いで生きてきたこと。「読む」という事への思い。「知りたい」「読む」という事を中心とした生活の様子。読んだ本に対して感じたこと。などをまとめています。何かを説く、という本ではないので大変読みやすかったです。
さて、本を読み進めると、立花さんの凄さというか、ある種の狂気を感じました。
なんせ読んだ本が何万冊。若い頃、編集の仕事をしていたのに、本を読む時間がないと退職。その後、本を読みたいから、物書きの仕事を始める。
とにかく何でも知りたくて、それによって仕事のテーマを定める。書くためには専門家の話をたくさん聞く必要があるが、質問をできる水準の知識を得るために、たくさんの本や資料を読み込む。読んで、聞いて、まとめて、読んで、それから命を懸けて書く。
執筆や仕事を終えたら本と資料を保管。次に新しい分野の仕事を受けたら、同じことを一から繰り返す。そんなこんなで、本と資料を置くためにビルを建てた。
もっている時間、得た収入をほとんど「知る」ためにあてた人。
こう書いていると間違いなく狂気を感じる立花さんですが、本を読んで感じた人柄は、決して穏やかではないけど、「面白い人」でした。
とにかく「知りたい」という欲求に素直で、そこに全振りしちゃった。その「知りたい」の中で出会った稀有な方々との交流もあるけど、「知りたい」「面白そう」があると夜中でも電話しちゃう。まわりも大変だけど、立花さんの純粋さを知っているから勝てないと思って付き合っちゃう。そんな人。
おじさんは読む中で少し親近感を感じました。
立花さんは、「知りたい」というのは人の基本欲求だから、知りたいと思ったらその分野の本を数冊読んでみなさい、難しく考える必要はない、という立場です。
僕の読書も「知りたい」が原動力で、ジャンルは無節操。何となく、知る、においては節度があって、ジャンルを絞って学ぶべき、という論調を感じる中において、心強い気がしました。もちろん、読む量が桁違いなので、親近感を持つことが恐れ多く感じるのですが。
桁違いで恐れ多いと言えば。
立花さんのおっしゃる、「気になる本があったら、パラパラッとめくっていけばヒトの脳は勝手認識する、自然と気になるところに目が留まるから、そこで手を止めて読めばいい」という事には賛同できませんでした。
おじさん、真似してパラパラッと本をめくってみたんです。結果は、紙が動く様子しか見えなくて、文字を認識するどころではありません。出始めている老眼の影響もあって、まったくもって手に負えませんでした。
おじさんの持つ能力をに合わせて、今はまだ、丁寧に本を読もうと思いました。
あと、巻末にある、立花さんが本を読んで感じたこと、がとても面白い。
立花さんはその本がいいかどうかは読んだ人が決めること、として、書評はしていません。そのうえで、読んで感じたこと、を書いています。
「この本は面白い」とか「すごく価値がある」、というところも書いてあるのですが、なかには、「資料的な本なのに索引がないのはよくない」「本の装丁が安っぽい」「価格が高すぎる」とかも書いてあります。
本が好きだからこそ遠慮がなくて面白い。