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谷崎潤一郎の『AとBの話』を読む 作品が書けなくなった時点で二人とも負けだろう

 すまん。谷崎君。前回「靖国神社の靖に天照大神の照」などと書いてしまったことにカチンと来たのだろうか。

 だからといって、AとBはないじゃないか。名前になど大した意味はないのだよという作品もそりゃあるだろうが、島田雅彦ならまた例によって、Aは芥川龍之介で、Bはバルザック オノレ・ドだとか適当なことを言いだすぞ。知らんけど。

 しかしこれは例によって酒鬼薔薇君が『絶歌』で見せた、赤ニシンのレトリックと見ていいだろう。主人公の二人がAとBということで、Aの妻S子の「S」が何か意味ありげに見えてしまう。これは様々な登場人物を「ウッディ」「バズ」「イモジリ」「ジンベイ」「ワトソン」などとあだ名で呼びながら、突然お世話になった篤志家だけアルファベットで呼ぶような仕掛けだ。そうでなければ島田雅彦や高橋源一郎がAとBが苗字なのか名前なのか区別ができないことを揶揄っているのだろう。

 さてこの『AとBの話』は二人の作家AとBの話である。悪い作家Bが小説が書けなくなり、良い作家Aに小説を書かせて自分の名前で発表するという話である。そんなことがあるものかとその空疎な設定を笑おうとして、いくつものことが思い当たり、笑えなくなる。

 たとえばAはBの代わりに小説を書いている間、作品を自分の名前で発表できない。十何年も。そんなことはないよなと思った瞬間、五人の名前が浮かんだ。大伴家持、トマス・アクィナス、ジェローム・デイビッド・サリンジャー、庄司薫、辻邦夫である。家持は国府で歌い閉じ、以後二十六年生きたとされる。聖トマスは『神学大全』完成間近に突然書くことをやめてしまう。サリンジャーは1965年に発表した「ハプワース16、一九二四」を最後に事実上引退している。(未発表原稿は刊行予定だ!)庄司薫は薫君シリーズ四部作を最後に、後にはエッセイと「あとがき」以外に小説を公表していない。辻邦夫には十年間くらいブランクがあったはずだが、今確認すると見つからない。勘違いかもしれない。

 兎に角、ある作家が突然作品を発表しなくなることはあるのだ。では他人の作品を自分の作品として発表することがないかといえば、そんなことはない。太宰治と井伏鱒二には互いの作品を交換して発表したという疑惑があり、川端康成の『眠れる美女』は三島由紀夫作だという疑惑もある。「乙女の港」は添削したものである。もう少し時代をさかのぼると無名な作家が有名な作家の名前で作品を世に出してもらい原稿料を貰うということは珍しくなかったようだ。

 それにしても自分の大切な作品を他人に譲るなんてことはないんじゃないかと思った途端、佐藤春夫と「せい子」との間の小田原事件を思い出す。この作品の公表された大正十年六月といえばまだゴチャゴチャしていた時期である。

【小谷野敦氏による】

 二人の作家の間でゴチャゴチャという意味では、この小田原事件ほど奇天烈な話はなかろうと思うが、女房のやり取りに比べれば、小説のやり取りくらいありそうに思えてくるから不思議だ。谷崎潤一郎はもしやこうしたアクティビティを利用して作品を売らんとしたのかとさえ思えてくる。そして悪い作家の筈のBが突然佐藤春夫に思えてきて同情したくなる。そりゃ他人の女房に惚れて、それを「くれ」というのは乱暴だが、「やる」という谷崎潤一郎もおかしいし、それまでに何度も女房を殺しそうな小説を発表してきたことが改めておかしくもなる。

 いや、佐藤春夫が悪い作家Bに思えた事自体が面白い。じゃあ谷崎がAかという話になるが悪魔派は谷崎潤一郎がどうしても譲らない看板だろうし、佐藤春夫は薔薇の詩人である。

一、佐藤春夫は詩人なり、何よりも先に詩人なり。或は誰よりも先にと云えるかも知れず。
 二、されば作品の特色もその詩的なる点にあり。詩を求めずして佐藤の作品を読むものは、猶南瓜かぼちゃを食わんとして蒟蒻こんにゃくを買うが如し。到底満足を得るの機会あるべからず。既に満足を得ず、而して後その南瓜ならざるを云々するは愚も亦甚し。去って天竺の外に南瓜を求むるに若かず。
 三、佐藤の作品中、道徳を諷するものなきにあらず、哲学を寓するもの亦なきにあらざれど、その思想を彩いろどるものは常に一脈の詩情なり。故に佐藤はその詩情を満足せしむる限り、乃木大将を崇拝する事を辞せざると同時に、大石内蔵助を撲殺するも顧る所にあらず。佐藤の一身、詩仏と詩魔とを併せ蔵すと云うも可なり。
 四、佐藤の詩情は最も世に云う世紀末の詩情に近きが如し。繊婉にしてよく幽渺たる趣を兼ぬ。「田園の憂欝」の如き、「お絹とその兄弟」の如き、皆然らざるはあらず。これを称して当代の珍と云う、敢て首肯せざるものは皆偏に南瓜を愛するの徒か。(芥川龍之介『佐藤春夫氏の事』)

 ……とつい芥川龍之介のイメージに寄せてしまうのが私のパラテクストだが、実際には、

明治期には大逆事件の影響を受けて、思想的な傾向を示す「傾向詩」を多く手がけるが、大正に入って、もっぱら小説家として生きることを目指す。第二次大戦中は、文学者として従軍し、戦争を賛美するかのような詩を残す。戦後は、B級戦犯に問われている知人などを弁護した。(ウイキペディア「佐藤春夫」より)

 ……といった妙なねじれがある。しかしそもそもそんなことは当たり前の話で、そもそも善の作家と悪の作家の対決なんてものはあり得ないのではなかろうか、と谷崎の云いたいのはそのあたりのことなのではなかろうか。「他人の女房に惚れて、それを「くれ」というのは乱暴だが、「やる」という谷崎潤一郎もおかしい」と書いたが、そもそも盗人人種などいないのだ。生まれつきの聖人も居ない。人間はその間で時には良くよくなろうとして、時々ぶちきれて、反省する生き物なのではなかろうか。そして誰しも欲がある。それが人間だ。

 ウクライナが昭和天皇とヒットラーとムッソリーニの肖像を並べ打ち倒すべき敵として掲げていることに日本人の多くは不快だろうが、ドイツとイタリアが同盟国であつたというのは事実であり、海外から見ればこうした見立てもありうるというのが事実だろう。人間だからいろいろな見立てをされる。

 人間らしくないのは最後まで作品をBに譲ってしまったAである。そんな人間はいないよなと思う。

 この作品の結びには、

Aはその後、何年も何年も、解き難い惑ひと悶えの中に月日を送つた。だが、やがて遂にその苦しみに堪へかねて、凡べての事を、或る日S子に打明けてしまつたのである。S子は喜んだ、そして淚を流した、彼女は報いられたのであつた。けれども、Aの天才が再び甦つて來る時はなかつた。それはBの全集に悉く收められて居た。夫婦は長く、淋しい、樂しい、凡庸な生を送つた。「AとBの話」は此れで終りである。Aが勝つたのだらうかBが勝つたのだらうか?(谷崎潤一郎『AとBの話』)

 ……とある。そう言われてみて確かにこれは勝ち負けが争われていた話だと思い当たる。Bが死に際に作品を返そうとしたことでその改心を見るならAの勝ちである。結果として惡を貫いたという意味ではBの勝ちのようでもあるが、最後に善の心になったのに惡のまま葬られたと言えばBの負けのようでもある。と、真面目に問いに答えていてもらちが明かない。作家としてみれば、作品が書けなくなった時点で二人とも負けだろう。全集が残せたならそれでいいという話でもなかろう。一旦書きはじめたものが何も書けなくなり「長く、淋しい、樂しい、凡庸な生」に辿り着くことが果たしてあるだろうか?そんなことを思って谷崎はこんな勝負を書いたのではなかろうか。

 家持の二十六年を思うと、何時も私は不思議な気持ちになる。「歌い閉じる」なんてことが私にはまだ想像できない。酒鬼薔薇君もきっとまだ何かを書いているに違いない。

[余談]

 芥川の『餓鬼窟日録』の大正八年五月三十日に「谷崎が北原白秋を除き詩人は皆酢豆腐だと云つた」とある。なるほど、北原白秋を除き、ということは佐藤春夫も酢豆腐か。















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