bitFlyerでの5年間
卒業
2017年に入社したbitFlyerを今月末で(2022年1月末)で退職します。
bitFlyerでの5年間は最高の時間でした。普通の会社員では中々出会えない、一生を通じて何度も経験できない、多くの機会に巡り会えました。
社内ではよく「bitFlyerの中での1年間は通常の3年分ぐらい濃い時間だよね」と言われます。私の場合は5年間在籍していたので15年ぐらいの時間を体験したという計算になり、さすがにそこまで長くはなかったよなと思う一方で、目を瞑って色々ありすぎた過去を振り返るとそれぐらい長かったような気もします。
いわゆる退職エントリと言えるのかもしれませんが、このタイミングで今までの5年間を振り返りたいと思い、久しぶりにnoteを書きます。
主な目的は自分自身の5年間の振り返りですが、これに加えて大企業からスタートアップに転職しようとして迷っている人への1つの参考事例となればなお良しと考えています。
キャリアチェンジ
bitFlyerに入社する前は東京海上日動火災保険株式会社という日系の大手損害保険会社で働いていました。2008年に新卒入社し、約10年間所属しました。
東京海上では、貨物海上保険というニッチな保険を扱う部署で、主に大企業向けの営業、商品企画・設計、引受に携わっていました。入社からの10年間一貫して同じ仕事をしており、総合商社、小売、石油化学、トイレタリー、製薬などの業界を担当していました。
海上輸送されるあらゆる貨物に対するリスクをヘッジする保険商品を設計・プライシングし、顧客へ提供する仕事はすごくやりがいがありました。商流や輸送の実態をヒアリング・把握した上で、発生し得る事象を想定し、引き受けるリスクに値段をつけていく仕事です。役割は営業なので当然に競合他社との競争になります。この競争にどうやって勝っていくのかを考え、顧客と信頼関係を築きながら最善手を実行していく。そしてその結果が数字で見える世界は、ずっとスポーツをやってきて負けず嫌いな私のパーソナリティにマッチしていました。
東京海上の中での出世を目指すという選択肢はありましたが、自分自身のキャリアの幅の拡大や中長期で将来やりたいことを軸に、以下のようなことを考えました。
非効率な業務や慣習が多い金融領域を変えるビジネスに関わりたい
テクノロジーで世の中を変えていく企業で働きたい
将来自分で事業をやるための経験が積める環境に身を置きたい
転職
このような状況下、2016年に出会ってインターネットを通じて出会ったビットコインの世界に魅了されました。「数百円単位の手数料で金融機関を通さずにやり取りができる新しい通貨」という思想とこれを実現する技術に強い衝撃を受け、このテクノロジーが普通に使われると世の中が大きく変わるのではと感動しました。
そもそも私自身が一ユーザーで、大型の資金調達をした後だったこともありbitFlyerのことは知っていましたが、選考は人材エージェント経由で受けました。当時はまだ人数が少なかったので、取締役、ビジネスサイドの社員全員と面接をしました。ユニークな人が多く、各人が事業に相当なエネルギーを注いでいる姿が伝わってきて、ここで働くのが面白そうだなと思いました。
bitFlyerに転職するという意思決定をし、前職の上司・同僚や当時の取引先の方々にその旨を伝えた際、大半の方は応援してくれましたが、半分ぐらいの方からはネガティブなコメントももらいました。
東京海上に10年いて辞めるのはもったいない
誰もが知っている企業に行くならまだしもスタートアップに行くのはキャリアアップに見えない
仮想通貨なんて怪しいものを扱う会社になぜいくのか理解できない
家族もいるのに不安定な道を選ぶのは避けるべきだ・・・など
また、待遇面では、ストックオプションが付与されますが、東京海上でもらっていた年収が大きく下がるオファーでした。
が、転職することに全く迷いは生じませんでした。新しい世界に飛び込めるという機会を得られるという高揚感が勝っており、行ってみてもしもうまくいかなかったら元の業界に戻れば良いと考えたことを記憶しています。
風速500mの追い風
2017年4月にbitFlyerに入社しました。社員番号は43番。当時の社員数は30名強でした。
入社してはじめての仕事は、ビックカメラでのビットコイン決済の運用サポートでした。社員数が少ない会社のカスタマーサポートメンバーの数は知れており、サポートメンバーが必要です。まだマイナーだったQRコード決済に店舗の従業員の方々が不慣れだったことや、ビットコインを持っているユーザーも初めてビットコイン決済をするケースが殆どだったため、多数の問い合わせや現場でのサポートが必要でした。
入社後初の週末は、サービスの仕組みのキャッチアップもままならぬ中、朝9時から夜23時までスマホを片手に新宿のビックロの中を走り回っていたのは良い思い出です。
私の部署は経営戦略部でしたが、所属、役割、肩書きなどに関わらず、ビジネスサイドで必要だと思えること、できることは全てやりました。
プロダクト開発周りについては多くの経験を積ませてもらいました。
私はエンジニアではないですし、bitFlyerに入社するまでソフトウェアの開発に携わったことさえありませんでした。そのため、一般的にシステム開発のプロジェクトがどのようなプロセスで進んでいくのかが分かりません。専門用語もわかりません。というか何が分からないのかが分かりません。ある程度経験を積み一般的な流れを理解してきた時に、人生で初めてプロマネをやりました。
加納さん、小宮山さんが決めた仕様に基づいてエンジニアと会話し、見よう見まねでWBSを作りプロジェクトを進めました。経験を積んだといっても期間も短く大した内容ではないため、エンジニアから発せられる言葉が理解できないケースが多々発生します。
明らかに自分が初歩的なことを理解していない状況であり、多忙なメンバーの時間を無駄に取ってしまうのは避けたかったので、週末に一人でオフィスに来て、書籍、Web、社内チャット等の過去のやりとりを行ったり来たりしながら何とかプロジェクトを進めました。
主な担当業務であった事業開発については様々な案件を組成・実行しました。
仮想通貨を購入するための入金方法を増やすため、銀行・収納代行業者との提携を進めたり、ユーザーに投資以外で仮想通貨への接点を持ってもらうため、ビットコインの決済を導入する加盟店への営業活動を推進しました。Tポイント・ジャパンと提携し、Tポイントとビットコインを交換できるサービスを開始しました。「購入するのは躊躇するけどTポイントを変えれるのならすごく良いね」と言う友人の言葉が嬉しかったのを鮮明に覚えています。ユーザーに安心して使ってもらえるように保険会社と仮想通貨交換業者向け・ユーザー向けの保険商品を開発したりしました。(残念なことに東京海上とではなかったですが)
ブロックチェーン事業では主に大企業との実証実験、プロダクション案件を推進しました。
bitFlyerが開発したmiyabiというプライベートチェーンを複数の企業に使ってもらうのが事業開発のメインミッションです。積水ハウス、三井住友海上などの商用環境で利用されたり、大手ITベンダーと共に全国銀行協会のパートナーベンダーに選ばれたり。非公開ですが、複数の大手企業と実証実験などを行いました。
急速に増えるユーザーサポートを強化するため、カスタマーサポートセンターの立ち上げも推進しました。と言っても、同様の立ち上げなどをやったことはありません。例えば「カスタマーサポートセンターの施設にはそれぞれの従業員が使えるロッカーがあり、貴重品のみを透明なバッグに入れて執務室に持ち込むのが一般的である」みたいな知識もほとんどない状態から、事前にWeb等でリサーチし有識者にヒアリングし、うまく行っている会社を見学に行くなどで知識をインプットした上で、bitFlyerにとってどのようなやり方が良いかの議論を繰り返しました。
ユーザー向けのイベントは複数回やりました。
私が入社したときは10名程度集まれば良い感じだったbitFlyer Nightというイベントも、数ヶ月後には200名以上が集まるイベントになっていました。当初はオフィスで開催していましたが、200名になるとオフィスに入るわけもなく、イベント会場を貸し切りました。
テレビ局などメディアの取材も頻繁に来ました。仮想通貨の価格変動やハードフォーク、取引所の運営に関する取材が大半です。執務室が撮影される際にはオフィスを綺麗に掃除しました。ピーク時はどこかしらの媒体から取材が毎日来ていたので、毎日デスクの周りを掃除していた気がします(笑)
また、記者会見を自社主催でやったことも良い経験です。会場のレイアウト、当日の台本、ロジ分担、バックパネル、配布物、記者の方への案内レターなどなど、チームで協力して作業します。会見実施が急遽決まることが多く、寝ないで当日を迎えることばかりでした。
私が入社した時からの約5年でビットコインの価格は約60倍、取引量は約100倍になりました。価格の上昇を1つのきっかけとして当社のサービスを使って下さるようになったユーザーの方は非常に多いです。
ビジネス的には素晴らしく喜ばしいことです。日々ユーザー数が増える中で、電車の中でbitFlyerのアプリを触っている人を見つけたり、友人知人からサービスのフィードバックを受ける回数が増えるのはとても嬉しい出来事でした。
他方、短期間で激増するユーザー数と取引量の裏側では相当な成長痛が生じます。体感的には正に風速500メートル。追い風10メートルでも強いと感じますが、その50倍ぐらい強い風が吹いていた感覚です。少ない社員数でこの追い風を受け止め耐え凌ぎました。
しかし今考えても、この追い風にちゃんと乗れるようなサービスを仮想通貨黎明期に作った創業者の加納さん、小宮山さんの慧眼には感動すら覚えます。
MVV・カルチャーの大切さ
bitFlyerに入って難しいことはたくさんありましたが、その中でもカルチャー形成や組織設計・採用は最も難しかった領域の1つです。
他の仮想通貨交換業者と同様に、2018年半ばにbitFlyerは業務改善命令を受けました。当時の詳細に関する言及は控えますが、会社の状況が悪くなった時に、良かった時には出てこない社員からの不安・不満の声が出ます。「会社は何を目指しているのかが見えない」「自分達がなぜこの会社で働いているのか分からなくなった」などです。
急激に会社が大きくなる過程で多くの社員を採用するのですが、やはり短期間で組織の規模が拡大すると、どうしてもカルチャーを隅々まで浸透させるのが難しくなってきます。
特に状況が不安定で朝令暮改も当たり前なスタートアップでは、どんなことも前向きに捉えて推進力を持ち自律して仕事を進められるポジティブさが大切です。組織を造るのは人であり、仲間集めやチーム作りがこの土台を作るということを身を持って体感することができました。この経験は私の今後の糧になると思います。
bitFlyer Blockchainの始動
2019年7月にbitFlyer Holdingsの下にbitFlyer Blockchainが設立されました。
bitFlyerのブロックチェーン事業をスピンアウトし、事業の強力な推進が会社設立の背景です。
主にエンタープライズ向けの事業であり、過去発表してきた複数の新規事業の立ち上げを行なってきました。
※以下は公開されている内容のみで、bitFlyer Blockchainの取り組みの一部です
ブロックチェーンを利用した新規事業の立ち上げは、ビジネスモデルはもちろんですが、技術、法律、税務、会計など検討しないといけない項目が多岐に渡ります。新規事業を立ち上げる難しさと面白さを経験することができました。
また、bitFlyer Blockchainでは同社のマネジメントメンバーの一人として、会社の各種意思決定にも関与させてもらいました。パッションに溢れた優秀なメンバーと一定の期間仕事ができたのはかけがえのない財産になりました。
人生という旅
加納さんがよく言います。「人は誰もが老いていく。死ぬ時には思い出しか残らない。その期間で貴重な時間を過ごせたのか。そして社会に対してインパクトを与えられたのかが重要であり、それが最後に残る唯一のものだ」と。(文言違うかもしれませんが趣旨は大体合っているはずです(笑))
bitFlyerに入社してからは、早朝から深夜かつ土日も含めて働きました。文字通り、死ぬほど働いたと思います。(実際、通勤が家に帰る時間がもったいないと思い、ミッドタウンから歩いて5分の場所に家族を連れて引っ越しました。家族には大きな負担をかけてしまいました)
ワークライフバランスという時代のトレンドからすると完全に逆行しています。長時間労働が良いとは全く思いません。
一方で、あの熱狂がユーザーに評価されるサービスを産み出し、社会にインパクトを与え、結果として自分自身を急速に成長させてくれたというのも事実です。
まだ人生は続きます。残り数十年間で世の中にどれだけのインパクトが与えれるのか。その過程を楽しめるのか。この思いを胸に新しい領域でのチャレンジをしていきたいと思います。